日本人の宗教音痴について考察

日常生活に神が居ないって思想

日本人は宗教を「日常生活」へ持っていくのが苦手っていうか風土的にいつも宗教と共にいないって行動様式です。
神道で言うところの「ハレ」と「ケ」と言いますか……。「ケ」の部分には宗教とは無縁な世界。逆に「ハレ」の日は宗教を信じるというか「その時だけ神が(我々の前に)存在する」って信仰方針という感じ。だから、「ハレ」の日、クリスマスや正月、バレンタインに夏祭り、と言った日にち毎にお祭りになる。んで、非常に神道的な思想から「神様そっちのけでお祭りになる」って訳ですよ。だから「キリストの誕生日に何で恋人同士でいちゃつくんだよ!」って叫ぶのは日本人的じゃないわけ。「まあそうだけど、いいじゃん!」って言われるだけです。

江戸時代と宗教

歴史的に見て、一番繋がりがある近世である江戸時代において日本人の宗教観ってのは固定された気がします。
まず「宗門改め」という現象。思想的に江戸幕府の政策と合わないキリスト教を弾圧するために行った政策なわけですが、「宗門人別帳」により戸籍簿が出来たりと国民管理に逆に役にたったため、檀家という家毎に宗派を決定すると言う「寺請制度」として発展しました。
そうするとどんなことが発生したか? 家毎に宗派が決まった以上、教徒の取り合いが無くなったって事です。そのため、「布教」ってのが消えました。布教が消えても信徒はこどもが生まれる毎に増えていきますから、坊さんの権力というかやる気がなくなってきます。
「なまぐさ坊主」なんて侮蔑する言葉も出てきたのもこの時代。そして、このあと仏教の勢力ってのは弱くなっていく一方だったの。

困ったときの神頼み

なんて言葉がありますが、江戸時代の宗教観ってこんな感じ。どっちかって言うと女子どもが宗教を信じてるって感じで仏教の衰退と共に信仰心ってのが無くなっていったのは確かです。この現象は現在でも残っている気がします。「宗教は心が弱い人が信仰するもんだ」って形でね。日本の歴史から見れば正しいと言えば正しいのでしょう。

300年の平和に見る江戸時代

江戸時代が続いた理由って、ひとえに平和だったからだったと思います。ところで江戸時代を知る上で三つのキーポイントがあります。

  1. 鎖国体制の整備
  2. 儒学の普及と庶民の知識レベルの向上
  3. 幕藩体制による交通網と流通の整備

鎖国によって外交というのが無くなりました。そして外国摩擦ってのが無くなったって事。これって中央政府がなにもしなくても良いって事です。もう一つは幕藩体制、実質的民衆管理は藩が行っていたので、さらに中央政府はなにもしなくてOKって事になります。*1
そして、儒学が普及したこと。ここで琴子は儒教と呼称していないことに注意してください。儒教儒学は根本概念が違います。儒教のまま日本に持っていくと江戸幕府の正当性を否定しちゃいますからね。儒教の場合だと「天皇制」ってのが正当になっちゃうので*2徳川幕府的にはダメダメなの。でもこの儒学の発展が国学へと移行していったってのは日本人の宗教観を理解する上でも重要なポイントとなります。
 
どっちにしろ、「なにもしなくてもOKな中央政府」と言ういがいとダメダメな政府を民衆が支持した理由は、安土桃山時代の戦乱がイヤだったから。儒学の普及は日本の歴史を掘り起こしていたので戦乱はやっぱダメだなーって考えていたのはある意味日本人の総意。平和を愛して持続させる。ってのは江戸時代からの伝統文化じゃないのかな?(何となく、現代にも通じる何かを私は感じますがね)

江戸時代の宗教観が続いた理由

と言うわけで、「戦争イヤだな〜」→「政府がアレでも平和なら良いや」→「政府が存続するためには宗教の力を減らそう」→(300年の平和と引き替えにした何か=プライスレス)→「仏教の荒廃」
ってのが日本人の宗教観に多大な影響を与えたってのは想像に難くない話しです。

明治に入ったときの宗教観

明治から昭和初期に掛けて「国家神道」ってのが、中心だったって言うのは中学校で歴史を勉強した人は何となくですが理解していると思います。
これ、裏話がありまして「西欧列強の諸国には『国教』っていうのがあるらしい、脱亜入欧を目指す我が国も真似しようじゃないか、でも現在の仏教はその零落ぶりが目に余るし、かといっていまさらキリスト教ってのも何だなぁ……。そうだ、神道だ!」ってのがその流れらしいです。
ちなみに、それまでの天皇家は「天台宗」でした。こんな言い方があります。「天子天台 公家真言 禅大名」なんて言葉あるように、御所の一室には仏壇が置いてあって念仏唱えてたわけですよ。これを明治に入って神道へと移行しました。
天皇家も引退するときは出家してましたし(源氏物語なんかそんなこと一杯だったよね)、神道が興隆したのは実はつい最近のことでもあるのです。
んで、国家神道が普及して最高潮を迎えたときに日本は戦争をします。最初の数回は良かったのですが、最終的に太平洋戦争で敗北し、日本を見つめ直す機会が訪れました。何が原因だったか? 「神国日本」と言う神話が崩されたときです。

現代の日本

キリスト教徳川幕府によって抹消されました。そしてその手段が最終的に仏教を衰退させることにも繋がったのです。そして、明治時代から国家神道が登場しましたが戦争の敗退と共にその幻想は潰えることになりました。
この現在までの歴史が日本人の宗教観が弱い理由とも言えるのではないかと私は考えます。

*1:うわぁ、これからは「地方の時代」ってこういう事か!?

*2:江戸末期には尊皇思想に変化するんだけどね