戦争回避と日本人の穢れ思想(上篇)

やぁやぁ、入院中で病院のレストランの片隅で(院内図書館と併設されている)インターネットコーナーを発見して嬉々として文字を入力しているわけですが、五分ガユが食べれるようになったので数日後には退院いたす予定と相成りました。
さて、前回の文章からだいぶ日にちがたってしまいましたが、気づくと15くらいのはてブを頂いておりまして、びっくりしていたりするわけであります。
夜郎自大などと揶揄されてますが、この辺は日本人の特有の技術見なかったことにという高等スキルを使用してスルー。今回は、この高等スキルについてお話をいたしましょう。
 
さて、日本古来からある宗教は神道であって、600年ごろにはすでに大陸から仏教が伝来し始めていたというのは歴史上の常識といってもよいでしょう。
特に仏教を推し進めたのが「蘇我氏」です。蘇我氏は朝鮮大陸からの渡来系の住民もしくは朝鮮系と何らかのつながりのあった氏族であるといわれていますが、その分大陸の最新の知識である仏教というのは大陸との貿易にも一躍買うくらいの先端思想でした。
この、曽我氏に対立していた古来神道(国家祭祀)を取り扱ってきていた「物部氏」「中臣氏」などは廃仏派です。なんてったって、国家の奉じる宗教ががらりと変わっちゃうんだから既得権益にすがっていた人たちはどうしたって反対するわけです。
ただ、当時としては仏教も「蕃神」つまり、外国の神様という位置づけで話をしていたというのが日本書紀にも残っております。
さて、645年に日本発のクーデターが発生するわけですが、それに先立っての604年に「聖徳太子」が十七条の憲法を制定いたしました。

一に曰く、和(やわらぎ)を以(もち)て貴(たっと)しとし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。
二に曰く、篤(あつく)く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。
三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。

とまあ、なるわけですが……。
この法律の順番って言うのは非常に重要な部分であります。
当たり前ですが、先頭に来れば繰るほど重要な案件ですよって意味です。
帝の詔よりも三宝のほうが重要だし、それ以前に「和」を一番重要視しているのは、日本を知る上で重要な部分だと思います。
「仏教」は和を重要とは考えてません。
また、この第一条の引用の部分は「儒教」から来たものであるといわれていますが、儒教で一番大切なのは「考」であって「和」ではありません。南総里見八犬伝のどこに「和」の人がいましたか?*1
この「和」を重要視しているのが非常に日本の日本らしいところと私は考えています。
 
「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」とは柿本人麻呂の句ではありますが、口に出すといらぬ争いが生まれる。だから、沈黙は金であり雄弁はそれに次ぐわけです。
「和」を尊び、「和」自体をひとつの文化の体系としたのは日本人の根底に流れる文化的なコードの一つといえましょう。基本的に日本人は戦争を嫌います。左翼である共産党ですら憲法9条に反対だったりする笑っちゃうような世界なわけですわ。マルクスレーニン主義は闘争の果ての革命じゃなかったかな?っていつも思うわけですが、日本では戦争に反対しているわけです。これを不思議に思わないっていうのが日本の根底に流れていて普遍的であるがゆえに気づかれない血の本流なのではないでしょうか?

もうひとつ、穢れという思想があります。これも日本を理解する上で重要なものになりますが、今回は体調も優れないのでここまで!
本当は3記事で終わりにする予定でしたが4本で記事になる予定とします。

*1:儒教で重要な八徳は、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌です。和の出る幕なんてありません。