死刑制度とコスト問題

私は死刑賛成派の位置からの言論を行います。
死刑否定派の良文ですねぇ。id:sk-44氏の「快楽殺人者は根本的に反省しない」という前提に対して、id:mojimoji氏は「あえて生かす事で、自分の存在について確認し自身とその存在に苦を与える」という理論展開です。
こういう考え方好きですね。「生は苦痛です」とも言えますから……。

もうひとつある。反省するとは、しでかしたことの取り返しのつかなさを知ることである。償っても償っても終わりがない、償いきることができないことを知ることである。──彼が、心の中で、自分のしでかしたことの重大さを理解し、それをどれほど後悔したとしても、死んだ人は戻ってこない。取り返しはつかない。そのことに打ちのめされる。打ちのめされ続ける。反省するとは、反省することの無意味さを知ることでもある。

先行したまとめ

刑罰の目的は反省を促す事ではない。
二度と同じ行動を取らせないように、苦痛を与え教育をする事が目的である。

教育の意味が無く、再犯可能性が高い場合は死刑もやむなし。

別視点からの死刑論

基本的に刑罰を含んだ法典である刑法の存在意義は、「予防」と「応報」にあります。
予め「これこれこういう事はやってはいけませんよ。やった場合はこういう処罰になりますよ」というリストを国家が掲げる事で、「ここに書かれていない事については自由にやって良いですよ」という契約を提示しているわけです。また、その反面意地の悪い見方をすると、「このような処罰にあっても良ければ、こういう事をやっても良いですよ」という話にもなるわけですね。これがいわゆる「確信犯」の本義です。
つまり、刑罰の存在目的は「反省を促すもの」では無いという言い方も出来るのです。社会脅威を排除(禁固・死刑)するのが本来の目的であるという言い方も出来ます。
だから、反省をすでにしている人間は「社会的脅威になりにくい」と言う事で、情状酌量などの減刑措置があるわけです。また、再犯の量刑が重くなるのも同じ理屈だといえます。

刑罰の目的に関する考え方

禁固刑の場合は一定期間「行動の自由」を奪う事で、再度罪を犯す危険性を減らすというのが目的。反省を促すと言うよりも、もう一度同じ目に遭いたくないと思わせる事が刑罰の基本的考えです。これを「特別予防論」と言います。
また、刑務所などで教育を促す事で再犯を減らす働きもあります。これは「教育刑論」とも言います。
予め刑罰の種類と犯罪の種類を提示して予防するのは「一般予防論」と言って、この、「一般予防論」「特別予防論」「教育刑論」の3つを「目的刑論」と言います。
もうひとつの考え方は、「応報刑論」と言うものです。
応報とは「因果応報」の通り、「悪い事をやったら、身に悪い事が降りかかる」という勧善懲悪的な考え方です。どちらかというと「禊ぎ」に似た考え方で、「悪い事をやったら反動があり、その反動を受けたらその罪は清められる」という言い方も出来ますね。だから、刑法で「刑を受けて一定期間が経過すると罪が消滅する」という考え方も出来ます。

その場合の死刑の意義は?

この場合の死刑に関する考え方は、応報刑論による「あなたの取った行動は、あなたの死と等しい」という考えと、更正は無理である(反省ではないことに注意)。という考えとが先に立ちます。別に反省しなくても同じ事を繰り返さなければOKという考え方、人の脳みそなんて分かるわけ無いですから、その行動が同じ事をしないというのが社会脅威の排除と同等であるという考え方も出来ます。
ま、非常にシニカルで現実的というか合理的思考法(実務的)です。
つまり、更正というのは同じ行動を取る可能性があるか否かの問題とも言えます。
 
この場合、「教育刑論」と「特別予防論」は無視して、「一般予防論」と主目的である「社会脅威の排除」という目標を達成するための刑罰になります。
だって、同じ行動を取る可能性がある人間を社会に野放しにする訳にはいきませんから、死刑がない場合だと「社会が社会に出せない人間を養わなければならない」事になります。
ここから先はコスト問題ですね。言い方が悪いですけど……。
例えば死刑が廃止になって「永続的禁固刑」が確立したときに、その犯罪者が脱走して手短な人間を殺しまくられたら困るじゃないですか。
再度捕まっても、殺すわけにはいかないし。困った事になりそうです。
そうならないようにするためには、監視する人員や確保する場所など色々金が掛かるんじゃないかな。それでもその危険性は0にならないというジレンマ。
だったら、社会の安寧を図るためにも存在を無くしたらいいじゃないか!という結論になるのかなって思います。
今後、そういうコスト問題と再犯問題が解消されるような技術が発案されたら死刑は意味をなさないのでそのとき初めて死刑不要が考えられる自体になるのではないでしょうか?

時間が掛かっても……。

例えば、かなりの長期間かかって更正できる場合はどうなんだろうか?
どんな人間でも生きていれば考え方も変わっていくからいずれは更正できるかもしれません。
この場合の死刑は「更正の機会をなくす」って事にもなりますね。
ただ、この場合裁判でのチェックがあるわけですから、その時点での判断が付加されるんのかな。
その犯罪後、精神的に落ち着いた時に裁判があるわけですから、落ち着いた時でも「その信念によって」反省をしない場合は死刑でも良いんじゃないのかな。
「確信犯」、「道義的・政治的・宗教的な理由から起こす犯罪」の場合って、その時点で再犯可能性はあるわけだから、単純に長期間拘置するってのもどうなんだろうって考えます。

個人的な雑文(上記説とは無関係)

国家が社会正義を行使するってのは基本的に反対です。
社会正義の「正義」を定義出来ない以上、どこかに齟齬や批判も生まれるはず。
むしろ、社会正義という言葉自体が矛盾をはらんだ幻想なのかもしれません。
だから、刑罰にも正義という言葉を使いたくはないです。あくまで、「他の人への脅威」を排除する「事務手続き」として存在して欲しいですね。
事務手続きの方法は予め国民に掲示され、手続きに乗っ取った処理が行われること、こういうのが理想と言えば理想と言えるかもしれません。