「プロ根性」または、ブンヤが「文屋」ではなく「聞屋」である話し。

新聞記者をブンヤというが、別に「文」を売っているお店じゃないのだよ。
ブンヤとは「聞屋」という漢字で書く方が正しい。見“聞”きした物を正確に伝える職業がブンヤだと言うことを忘れているからではないでしょうか?

 ■ネット上では“悪役” マスコミへの不信感も 
 最近ますます目立つようになったブログの「炎上」。報道関係者のブログも、その例外ではない。一方、記者の新たな情報発信ツールとしてブログを重視する声もあり、イザ!でも62人が執筆中だ。読者との双方向の扉を開こうとする記者ブログがなぜ炎上するのか。炎上の経験者でもある共同通信社メディア局編集部の伊藤圭一担当部長にその理由を聞いた。
 先月、韓国のネット新聞「オーマイニュース」日本版の開店準備ブログが炎上した。発端は、鳥越俊太郎編集長がネットの巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」を指して「ゴミため」と発言したとの報道だった。同ブログは登録者以外のコメントを拒否し、事態の収拾を図った。既存マスコミでは、日本テレビアナウンサーの盗撮事件を“擁護”した、同局の元アナウンサーのブログ炎上も記憶に新しい。

ブログになれば個人の主観が入りやすいと言っているが、全ての記事には記者のフィルターやバイアスが掛かっていることを忘れていませんか?
また、炎上する理由はさまざまではない。ブログが炎上する理由はただ一つ、論理的で無いからだと思う。感情論で書かれた文章は炎上するのだ。
感情を書くときも常に論理で構築しなければならないと思う。
今まで炎上してきたブログで論理的だったブログは寡聞にして私は知らない。

フィルターのないブログでは「既存メディアとユーザーの意識の乖離(かいり)が、ちょっとした理由で炎上につながる」と指摘する。

ネットなら炎上で済むけど、フィルタのない新聞記事とか報道では炎上せずに不信感が生まれるだけだ。「ネット上では悪役」ではなくもう既に「ネット上でも悪役」になっていることを知るべきであると思う。

オーマイニュースにもの申す。

オーマイニュース」の精神は嫌いではないよ?
広く一般の人が身近なニュースを提供することができる。その理想は好きだし認めている。
だが、人に物を伝える職業は常に人から見られていることを身をもって感じていないといけないと思う。
そう言う意味では、コメントは記者登録した人しか書き込めないシステムは耳を塞いだ聞屋に成り果ててしまっている。
見聞きした物を正確に書く職業が、耳を塞いだらどこから情報を得るというのだろう?
現在のシステムは非常に嘆かわしいとさえ思っている。
そう言った意味では、彼は信用できない。
耳を塞いで俺の話だけ聞いてろなんて言う扇動家をどう信じろと言うのだ? ヒトラーの時代はとうに過ぎているのだ。

私は炎上は甘んじて受けようと思っていますが、田舎で佃煮を出されて以来のトラウマで「イナゴ」は嫌いです(笑)。

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なあに、かえって免疫力がつく

もう少し細かい突っ込み

あと、Webで記事書くならURL位半角で書こうや。
全角でURLを書くなんて愚挙を見たのは久々だよ。
リンク無しで全角URLとか、2chの「ttp://hogehoge」並に人にどこから来たのか解らないように隠蔽する行為で、IZAがBlogを謳っているのなら言及先リンクとトラックバックの仕組みを勉強して欲しい。

追補 ニュートン力学の時代ではないのだよ? 時代は既に量子力学の時代なのだよ!

鳥越氏はマスコミを「社会的影響力」と言う文脈で扱っている。
だが、そのようなニュートン力学の時代は過ぎている。
そりゃ、マクロな世界でしか通用しないからニュートン力学は間違っているとは、通常言いませんがね……。それは、ある側面では正しい意見です。
ただ、現在では量子力学やら波動関数やらが跋扈している状況で、ある系に於いては古典力学では対処しきれないのが現状です。
「社会的影響力」というのは実名・匿名・黒木ルール問わずになんらかの影響を社会に与えているのは疑いようのない事実です。


氏の言う「社会的影響力」は、ある「情報」がマスメディアで取り上げられ、それが、社会的に認知される。ことを指しているが、そんなカビの生えた時代遅れの錯誤的な解釈は通用しない。
マクロな視点で良かった社会は終焉を迎えたのだと宣言しよう。


氏も「中にはまともな批判もある」と認めている。

参考
インタビュー:鳥越俊太郎氏(2)――責任ある参加と「炎上」:阿部重夫主筆ブログ:FACTA online

しかし、氏の言う「まとも」とは氏のお眼鏡にかなった意見を「まとも」と評価しているきらいがあります。
ある一定の情報について両論を併記する事ができる機能がブログの命であり、そこに差別を生む仕組みを入れるのは愚者の一手に他ならないのです。
氏はあくまで、情報の権威はマスメディアが背後に立つことで成り立っていると言う幻想を抱いている。だから、権威を与えるためには実名が必要だという主張が成り立っている訳です。
 
しかし、Webの情報の権威は「享受した者が取捨選択する事で権威が生まれる」のです。
「この情報は、信じられそうだ(と、言う幻想)」や「このBlogの記事は前も正しかったから大丈夫(と言う錯誤)」に寄って成り立つのです。
しかしながら、幻想でも錯誤でも権威が成り立つのはマスコミと同じ構図で、権威主義に囚われる者の哀れななれの果てとも言えるのです。
 
これらのWebにおける情報の権威は「名無しさん」でも「匿名」でも「通りすがり」でも等しく等価の関係です。
そのため、「匿名」や「名無しさん」や「通りすがり」だから影響力がないというのは全く非科学的であるという結論に達するわけです。
古典力学しか理解できない住人は、ブログや匿名掲示板の社会的影響が「炎上」や「祭り」が性税だとしか認識できないのです。さらに後ろには、多くの「一般」と自称する人々がたくさんいるのにね……。

以上の結果が、最終的にマスメディアにどっぷり浸かっている古典力学の住人たちが現代の住人に「今時、云々……」と小馬鹿にされるのです。
マスメディアのブログが炎上するのは、古典力学の知識で「世界は全てまるっとお見通しだい!」と叫んでいる哀れな人々を冷笑するための結果だと私は結論づけています。