宗教と医術。

宗教とか信仰の自由は、各個人に於いて自由であって、他人に強制してはいけませんっていう事由なのかな?

使徒言行録 / 15章 20節
ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。

新約聖書使徒言行録の記述ですが、ヤコブが言ったものとされています。
ココの解釈で、輸血すら出来ないなんて言う宗教もあるのですからねぇ。
うちは神道ですから、偶像に備えられた物を食すと言う行事があります。
「直来(なおらい)」と言うんですがね、
と言うわけで、自宅に着た聖書屋にはおかえりいただくわけですが。

 脳に病気を持って生まれた乳児の手術を宗教上の理由で拒否した両親に対し、大阪家裁が昨年、児童相談所の請求から約1週間後、「親権の乱用」として親権停止の保全処分を認めていたことがわかった。
 
 医師が一時的に親権代行者となって手術を実施した。手術は成功し、乳児はその後、親権を回復した両親の元で育てられている。親権停止決定には通常、数か月を要するが、医師が親権代行者を引き受けたため、今回のような短期間での決定につながったという。

(別に、上記のニュースが例のあの宗教との関係性は書かれていませんのでアシカラズ)
医師の英断でしょうか、でもこの場合医療費はどっちが負担なんだろ?
親権のある医者側なのかなぁ?
 
と、下世話なことを考えてみる。

記事に「佐賀」と入れるだけで県庁のお役人が閲覧すると言う技

起業家としては、ネット内でのリスクヘッジは非常に重要だと思いますしね、ヒットするのも口コミならば悪評が出るのも口コミです。
そう言った意味では、「監視」では無く「チェック」という立場からは非常に有用であると思います。
ただ、問題点も残ります。

誹謗(ひぼう)・中傷、風評被害に犯罪、自殺……。ネット上には、企業や掲示板の管理者らにとって、好ましくない情報も少なくない。放置すれば、信用問題に発展したり、管理責任を問われたりしかねない。そんな危険をいち早く察知したい相手を顧客にする「ネット監視」代行会社が活況を呈している。

 佐賀県庁の「危機管理・広報課」の仕事は、毎朝1000件前後届く「書き込み」情報に目を通すことから始まる。

 「佐賀」という言葉が含まれる情報で、前夜までの1日に書き込まれたものだ。個人のホームページや「2ちゃんねる」などの掲示板、メールマガジンからニュースサイトまで。ネット上のあらゆる場所から検索され、東京都渋谷区の監視会社「ガーラ」から送られてくる。「佐賀」を含む三つのキーワードを拾い出す契約で月10万円弱。

悪評が出まわる前に防ぐというのは、つまり、正確な情報が第三者に妨害されると言う側面もあります。情報提供者側に悪意は無かったとしても、被害が出る可能性があるという訳で情報公開を停止するというのはある意味ではファッショであると思います。
信賞必罰型というのにも疑問を提示せざるを得ません。
取りあえず、佐賀県庁のホームページを閲覧したのですが、「危機管理・広報課」のページにたどり着けなかったこと。
おそらく、業者発注のHPデザインで各課のページはそれぞれ又別の取扱になっているのでしょう。
たどり着けなかったので、情報取扱指針や行動基準がまったく読み取れないのは問題だと思うな。
おそらく、サイト内検索は「Namazu」かな?
 
佐賀県庁の木っ端役人様、つきましては御課の情報取扱指針と行動基準を検索できるようにしてください。

エロゲー→コンシューマ→アニメ化にあるもの

なかなか、面白い考察でした。
主人公のカリスマ性は、時季を追う毎に低下し現在は等身大(やや語弊があるが、リアルっぽいだと思う)の主人公に変化してきたと言う考察。
PC-9801版とか懐かしいなぁ……。
カリスマ性のあるエロゲの主人公というと、私なんかは「ランス3」とか思い出します。「体がなまる」とか「魔剣をうっぱらう」とかある種の男気のある主人公でした。
そう言った意味では最近の主人公は「ヘタレ」が主流かなぁ。
状況に流されやすいあくまで受け身が本質な主人公が多いですし。動かし易いのかも知れません。
最近のゲームのシステム的には選択肢は数本、分岐点のみに配置という感じで。あくまで主人公の選択はヒロインの行動へのトリガーとして機能してるのがほとんど。
あーゆー、ゲームの要請としてヒロイン側を目立たせると言う最低条件がある以上、主人公の正確も受け身体質が性に合ってるのかも?
 

 主流が『変態(もしくは陵辱)偉人伝を楽しむゲーム』から『バーチャル(恋愛・物語)シュミレーション』へ変わったってことなのかもなあ。
 ゲームから物語体感(共感)装置にシフトしたっていうのかな。

じゃあ、以前のはどう違うの?って事になりますね。
実際にはありましたよ。ヘタレ主人公なのが。それもMSXの時代からです。
AVGの金字塔とも言えるアレです。
(フルコンプに正味4時間もあれば出来てしまうような奴だったはずですが)そこから類推すると次のような仮説が成り立つのではないでしょうか?
 
仮説A:AVG(いや、三択恋愛ゲーム)のジャンルに於いては、主人公がヘタレなのは要請的結果である。
仮説B:仮説Aの構成因子は、非日常を構成する上でどちらに重点を置くかによって変化する。
仮説B-1:主人公の世界が、現状構成する世界観から大きく逸脱している場合は主人公側にカリスマ性を与える事が多い。
仮説B-2a:主人公の世界が、日常にあるのに「非日常」としての恋愛を出す場合は主人公側のカリスマを押さえ、ヒロイン側にカリスマを与える。
仮説B-2b:主人公の世界が、日常にあるのに「非日常」としての恋愛を出す場合は主人公側のカリスマを押さえ、ヒロイン側に注目できるような過去を与える。
 

∵その他のAVGでも同じような現象が見られる。古くは「きゃんきゃんバニープルミエール」なんかも主人公はヘタレだったような……。最近では「夜明け前より瑠璃色な」とか「Gift」とか、、、ToHeartとかに限らずある特定ジャンルに於いては主人公はヘタレなんじゃないのか?
万能な主人公を置く場合は、主人公の置かれた状況が現実とは異質な世界である場合は特にそうかも? 古くは「リップスティックアドベンチャー」や「EVE」とか「夢幻泡影」とかもそれに当たるか? 最近のだと……。なんだろ?
ヒロイン側にカリスマを与える。この場合のカリスマは行動力とか決断力に還元できるであろうか……。あとは、因子として暗い過去を与えるという手法。
こちらは、現在のドラマツルギーとして教科書的な使い方をされています。
現在のドラマやシナリオに於いては登場人物には暗い過去を与える事で、登場人物の行動基準を明確化する事が出来ます。
登場人物が何故庫のような行動を取るのか? それは、過去にこのような事があった結果である。と言う手法――。ハッキリ言って、キャラクタは動かし易いのですが、登場する過去の因子が似てくるためいずれは使い古される事になります。
そろそろ、ハリウッドタイプのシナリオライティングな手法が出てくるのではないでしょうかねぇ?
ここで言うハリウッドタイプのシナリオシステムとは、「神話的手法」を駆使した方法でその手の本を漁れば出てくると思われます。
 
もう一つ、何故最近は主人公にカリスマを与える事が苦手になってきたのかというと、長期展望的にアニメ化やコンシューマゲーム機に移植させることが上げられるのではないでしょうか?
特にアニメ化する場合はワンクールにエロ抜きで登場させる以上話しを膨らませないと、放送できないんじゃないかな?
かといって一話読み切りタイプなアニメとは違ってパターン化も不可能です。
そのため、登場人物の背景を作り込む必要が出てきたのではないかと予想します。
 
あー、でも主人公が余計なことに首を突っ込むと言った積極性は現代に於いてはなりを潜めてますねぇ……。
現代になくて過去にあったものは積極性なのかな?

ムラ社会から見たモヒカン族のイメージ

ムラ社会から見たモヒカン族のイメージってこんな感じなんでしょうねぇ……。
自分がモヒカン的だから、余計に違和感にさいなまされる訳です。
スルー力が足りない? まあ、スルー力があるってのはつまり、「老化現象」だろって思てますしねぇ。

「過去記事を読んでから質問しろ!」「○○ではなく△△ですね??」(誤字や言い回しの間違いの指摘)「問題発言は追及するべきでしょ!?」「すべてアクセス解析でわかっていますよ、こっちは」。ブログへのコメントや掲示板などで、コミュニティーの雰囲気が壊れて嫌ァ??な思いをする。こんなカキコミをする人を「モヒカン族」と言うらしい。いったいどんな性質の「種族」なのか。

あーっと、「すべてアクセス解析でわかっていますよ、こっちは」ってのはモヒカン的じゃないね、エレガントじゃないもの……。
モヒカン族の至上命題は「合理性」です。「IP***.***.***.***のhoge.jpのページからお越しのあなた」というエレガントな言い方はあっても上記のような裏付けのない言及はモヒカン的じゃないと断言します。
合理性を礎にして、「過去記事を読んでから質問しろ!」というのは無駄にリソース使わせるな!と言う合理性の追求。
「○○ではなく△△ですね??」から始る記事の訂正は、そのページだけで情報が完結する合理性を追求したもの。
「誤字脱字の指摘は人格否定とは思わない」は、全体最適化のために必要な要件で、弘法大師でも書き誤りはあるんだと言う先人の知恵だと思います。
「ネット上の場の空気が読めない」合理性を追求するためには無駄を省く必要があるからでしょう。
「殺伐とした議論を求む」議論でなれ合いなんてのは出来レースのことでしょうか?
 
と、言った具合に全ては「合理性」に繋がる物だと思います。


ま、それが理解できないのはムラ社会の人の習わしで、
幾ら、トマホーク持って暴れても周りからは理解されず共有できない悲しさかな?
(だからといって自分の行動を改めない程度の非合理性は持ち合わせているのですよ?)