情報隠蔽と教育

琴子は、情報が隠蔽された教育を是とは思いません。
良い事、悪い事両方の価値観を見る事が教育たり得るのではないかと思います。

ガス発生の材料となる洗浄剤がトイレ清掃用として校内に常備され、硫化水素を発生させる実験を紹介している教科書もあるからだ。「危険性を教えなくてはならないが、逆に興味を持たれても…」。こうした懸念から、現場への通達を出すかどうか足踏みしている教育委員会も少なくない。

ナイフによる殺傷が怖いから、小学校にハサミを持ってきては駄目とか。昔っからありますね。
愛知出身の友達は「三校禁」なる変な校則があったそうで、「三校以上の学生が集まってはいけない」とかという校則。
ボーイスカウトガールスカウトとか三校禁だな。なんて思ったりしたんですが。
政治活動の禁止というのが一番の目的だったのかなって思いました。
公教育において政治的に偏るのはいけないですから、公正中立、中庸教育の観点から政治活動を制限するってのは悪くは無いと思うのですが、それがなぜ三校禁なる変な事になるのかよく分かりません。
 
科学という教育は、常に悪用という危険を孕んでいるわけです。
原子力というエネルギーは電気というインフラに必要不可欠となりましたが、原爆になりました。
ノーベール賞の生みの親、ノーベルの開発したダイナマイトは鉱山での利用では、文字通り爆発的な生産率を上げるための発明とされていますが、結局は戦争で利用されていました。
現在利用されているインターネットだって、元を正せば軍事利用でしたし、軍事利用からの転用と言えばGPSだって、パソコンだって元を正せば軍用からの転用です。
 
世の中の技術や科学というものの発展の裏には常に闇が存在する。
このことを教えずに、どのような科学を教えるのか?
 
私は、自殺を防ぐために教育そのものを制限するというのは疑問を持たざるを得ません。