自分が自分の所属する国家を、自らの手で変えることが出来るんだという希望=愛国心の定義

ちょっと科学関連の事に目を向けていたので書いてなかったのですが、「「選挙権を放棄する」というライフハック」と言う大変合理的な記事。
この潔い宣言は非常に好ましいと思います。個人的には、むしろ何故バッシング? って思ったりする。
選挙権と言う権利の放棄を「合理的無関心*1」と取るか「愚行権の行使」と取るかってのは人の立場によって変るんでしょうけどね。
 
基本的に愛国心ってのは郷土愛と違って国という囲いが出来て初めて成立します。
だから、逆説的に、本来の愛国心ってのは「自分が自分の所属する国家を、自らの手で変えることが出来るんだという希望」愛国心と呼ぶんじゃないでしょうかね?
この希望が失われた人こそ「愛国心を喪失した人」と分類されるべきで、希望のあるか無いかが愛国心の有無を決定するのではないでしょうか?
 
愛国心を持たせる教育、そして愛国心がないという言説、はたして、その原因は何だったのかよく考えた方が良いかもしれません。
 
国の美醜よりも、希望を持たせる教育の方が正しいと思うよ?

*1:まあ、こっちは議決権の量による問題ですが