宗教の定義――再考

昨日の記事で書いたように宗教の定義ってのは(我流ですが)、
「神」「聖なる物」「超越した人物」についての信仰や信念を、信仰者本人の態度や行動によって社会システムとして組み込まれる事。
って定義しています。多分、あながち間違ってない解釈だと思う。
 
特に重要なのが、信仰者の態度や行動が社会システムに組み込まれると言う構造が宗教であるって言うポイント。
 
人間の行動が予測可能になるのは、社会に組み込まれて社会構造として認識されるってのが重要。
古代ギリシャの哲学者ディオゲネスの言うように「習慣は第二の天性なり」って訳です。
そして、習慣の基盤に宗教が来る事もある。故に、宗教は社会構造でもあるって言えます。
 
マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」なんかはお勧め。
彼の視点は「宗教に注目すると社会を説明できる」って視点。西洋の合理性の精神ってのは、キリスト教によって熟成されたんだ!って主張です。「禁欲」を旨とするキリスト教カルバン主義の傍流が「利潤追求の資本主義」といかにマッチしたのか? ってのを書いてある面白い本です。
日本が「脱亜入欧」を目指して、比較的速やかに移行できたってのは、意外と「合理主義」と「質素倹約」のお国柄だったからではないでしょうかね? だから、資本主義社会としてここまで成功しちゃってるのかも?
日本は、宗教を持たないが故に資本主義社会を成功させたってのは欧州にとっては驚異な事なのかもしれません。