善悪判断と責任・権利の代償

「ネット世代」という区切り方は、やや鼻持ちならないがその論述はほぼ肯定です。

ネット世代は、自分の中に価値基準を持つことができないから、外部にある明確な価値基準を重要視する。その代表的なものが「お金」である。
それぞれの行動に対して、「いくら儲かるのか」ということだけを考える。これが拝金主義的に映るかもしれないが、悪徳商人のように、何が何でもお金が欲しいわけではない。単に、その基準だと行動の判断に迷わないからというだけのことである。彼らは、ものの価値を自分で見定めるのではなく、他人??

たぶん、「善悪」と「責任」ってのがセットで考えられてるからだろうね。
「するべきこと」と「してもいいこと」、「してはいけないこと」と「しないほうがいいこと」が混同されているのが原因だろうな。
 
ぶっちゃけ、教える先生が倫理学や哲学に明るくないんだから「マニュアル化」しちゃうのは仕方ないのかもね。
マニュアル化するって言うと、善悪判断がすこぶる簡単な「安易なカント主義」とか、もうね量産体制!
 
教える先生が道徳に自信がないから寄るべきところが「法律」になっちゃて、お馬鹿な子供が「法律になければ何してもOK」とか勘違い、んで法律の成り立ちとかよくわかってないから読み間違いや勘違い続発。いやー、すげー無法地帯。
 
「原因において自由な行為」の概念が無いと、「故意」とかは説明できないと思うので、ちと補強すべきなんだろうけど、その辺は法学の論壇でも紛糾してるだろうからあえて見ないふり。
あと、故意・過失を問わずに行為の存在のみで判断する客観主義が善悪判断な国や時代があったことを踏まえると、ただ単に「日本」ではこれが善ですよという話になるので、これを「常なる善」というのは微妙。