今日はいろいろと出かけていたので

関東地方のとある国立大学へ遊び(いやいや、仕事)に行ってきたよ。
学食安かった!
んでも、ジェネレーションギャップをメッサ感じたorz
学食のはじっこで、「フォッサマグナー!!」って叫びそうだったさ。
心は20でも、良しにつけ悪しきにつけ、知識はそれなりに付いちゃったのよねぇ。 
 
昨日の住居の無い人の体験レポートについて若干の補足を。
3日を長いと思うか、短いと思うかで。此処の評価は変るんだとは思うね。
実際に、その事ついて言及されているトラックバックもあって、「面白い見方だなぁ」と思いました。
やはり、こういう見方も在るよ〜って視点は面白いですね。
「もっと、ブクマがあってもいい記事なのに」とかお嘆きになっていただいた方もいました。素直に感謝。
ま、でもネットの片隅で目立たなくゆらゆらと風に漂う桜草を目指してるので(謎
閑話休題――
私なんかは、期間に関係なく「それを為したこと」を評価するので、(もちろん、行為の成功失敗も問わない)ああ言う言説になったわけですな。
それを為したことによって、何かを読者に与える。故に其れは意義を持つと言う考え方っすね。
それぞれの価値観ってのが見えてやっぱ、変な規制を入れるよりは間口を拡げた方が面白いなと思いました。
 
多分この辺が、イナゴ禁止論に対するアンチテーゼの根幹理論と思います。
専門性とか非専門とか、そいうことに関係なく、多数の意見が生存競争によって淘汰され、正しい意見が生き残るってのは真で在ると思っています。ただ、問題なのが批判の仕方だけって事ですね。
昨日に引き続き、J・S・ミルの自由論から抜粋――

現在では否定的な論理、つまり、他の理論の弱点や実行面の誤りを指摘する事を目的としていて、積極的な真理を確立しない論理を非難するのが流行になっている。確かに否定的な批判は、最終的な結論を見れば貧弱なものでしかないだろう。だが、知識や確信と呼ぶにふさわしい積極的な結論を得るための手段として見た場合には、極めて高く評価するべき物である。教育の過程でふたたび、否定的な批判の訓練が組織的に行われない限り、数学と物理学を除く分野では、偉大な思想家はほとんど出てこないだろうし、社会全体の知的な水準も低い状態に留まるだろう。

150年も前から警告が出てたと言うのには、ある意味新鮮な驚きもありますね。人間150年程度じゃ進歩しないのか……。

余談。

琴子は、基本的にトラックバックのアドレスが記載されている(もしくは、トラックバック機能が付いてると思える所)には、トラックバックを送信しているんですが、どうも、過日の池田さんに引き続きトラックバックが通らないのはアレですかねぇ? 私の送り方が変なのでしょう。
ま、送っているぞ!って言い訳のような蛇足な文。

さらに余談!「システムが出来ることはシステムがやれば」

はてブ」に興味のある一人なので気になった記事を。
naoyaのはてなダイアリー - はてなブックマークのコミュニティについて
スラッシュドットのポイント制ってのは非常に面白いかなぁ。
アレの仕組みが良くわかってないけど、面白いコメントはポイントがやはり評価高いものね。
それは、情報が淘汰されつつある生々しい状態ってのがスラドの面白いところだと思います。
 
むやみやたらと、非表示にすることではなく「ユーザー」が「ユーザー」によって淘汰される仕組みは情報価値を高める結果になると思います。
間違っても「システム」が「ユーザー」を淘汰する仕組みは入れないで欲しいな、と考えます。
ついでに、ブログのコメントシステムにもそう言う機能が簡単に入ると居いな♪