ネットの優生学

なかなか、面白い論理展開でした。
少し論理展開をまとめると、

  1. 基本理論(逆淘汰)
    1. 質の悪い商品が世の中に増えると
    2. 客が粗悪品を手に入れる確率が増えるため
    3. 客の買い控えという消費の停滞(全体視点からは経済的損失)が発生する。
  2. 基本理論の般化
    1. ネットのイナゴというノイズは
    2. 書く人が粗悪な罵倒を受ける確率が増えるので
    3. 書かない人が増えて、ネット全体として情報が停滞する。
  3. 結論
    1. (情報の)停滞は悪である。
    2. イナゴ(質の悪い情報)は停滞の原因である。
    3. 故に、(イナゴは)排除せねばならない。

と言う論理展開ですね。

梅田望夫氏によれば、はてなの取締役会で「ネットイナゴ問題」が話し合われているそうだ。私の問題提起を受け止めていただいたようなので、参考までにこういう問題について経済学ではどう考えているかを説明しておく。

さて、この無謬な理論を論駁する前に、面白い小話をご紹介しましょう。

品種改良計画

広く知られては居ませんが、プラトンの理想国家は猟犬から影響を受けている。ソクラテスが友人グラウコンの狩猟小屋で話した思想の一つを引き出しています。また、プラトンは二人の会話を次のように記録しています。
 
ソ:「キミの家には良い猟犬と良い鳥が多いね、ところで、これまで猟犬や鳥の結婚や繁殖に関心を持ったことがあるかい?」
グ:「どんなことについて?」
ソ:「まず、キミの動物たちの中にも他の物より優れている個体があるだろう?」
グ:「その通りだね」
ソ:「じゃあ、キミはすべての者から同じように子孫を生ませるのかい? それとも、最も優れた者同士を交配させるのかい?」
グ:「そりゃ、最も優れた者同士だろう」
ソ:「繁殖させる個体の年齢にも注意を払うのかい?」
グ:「盛りの年頃になった個体だけを選びますね」
ソ:「ほう、ならば十分注意をしながら繁殖をさせねばなるまいね!」
グ:「ええ、そうですね」
ソ:「ならば、他の動物にも当てはまるのだろうね」
グ:「疑いなく」
ソ:「素晴らしい!友よ、同じ原則が人間にも当てはまるのなら、私たちの国家の統治者は、どれほどの婚礼術が必要なんだろう!」
この原則が定まったところで、さらにソクラテスは続けます。
「最も優れた男達は、最も優れた女達と出来るだけたくさん交わるべきだし、もっとも劣った男達はもっとも劣った女達とは、出来るだけ交わらないようにしなければならない。群れを最良の状態にしたいのならば、後者のカップルから生まれた子どもたちではなく、前者のカップルから生まれた子どもたちを育てるべきである。また、こういった事は統治者だけの秘密にしておかねばならない。そうでないと、反乱が起きる危険が高くなるだろう」
ソクラテスプラトンは何を心配しているのだろうか? また、その理由は?
マーティン・コーエン「101 Ethical Dilemmas」*1

プラトンの唱える理想社会って、ぶっちゃけ全体主義なので、私は好きではないのですが、現代の哲学、政治、倫理の中にも影響力を与えている哲学者です。

本題

さて、何故先ほど変な引用をしたのか?
逆淘汰の思想は、プラトンの思想から来ています。
「最も優れた男達は、最も優れた女達と出来るだけたくさん交わるべきだし、もっとも劣った男達はもっとも劣った女達とは、出来るだけ交わらないようにしなければならない。群れを最良の状態にしたいのならば、後者のカップルから生まれた子どもたちではなく、前者のカップルから生まれた子どもたちを育てるべきである。」特にこの辺――悪い物はつみ取っちゃおう作戦(しかも、国家主導で)のことです。
 
先ほど全体主義と言いましたが、定義しておきましょう。
全体主義とは、「個人は国家・社会・民族などを構成する部分であるとし、個人の自由や権利より国家全体の利益が優先するとする思想」を言います。
実際に、全体主義と言われた「第二次大戦中のナチズム・ファシズムなどに代表される体制」ですね。
 
プラトンの唱える理想社会は、まさに国家それ自体を中心としておいていますので、中の人の人格は一切考慮に入れてない思想です。
特に、「国家論」における医学や健康の項目なんて酷いもんです。
翻って、イナゴの話しに戻りましょう。
イナゴの駆逐には、氏は「ネット社会全体に規制を入れればよろし」と言う理論です。悪・即・斬お手軽簡単、手っ取り早いっす。
 
そんなわけで私の反駁

  1. この逆淘汰を駆逐するのには、全体主義にならないと達成できません。
  2. そして、全体主義の弊害や問題点は言うまでもなく歴史がそれを証明しています。
  3. 故に、逆淘汰を駆逐するのは個人の自由や権利を蔑ろにする危険な手法と言えます。

 
個人の自由や権利を蔑ろにしてまで、規制してよろしい物なのか?
我々が享受している自由と権利は、我々の不断の努力で維持し未来に残さねばなりません。これは、自由を享受する者の義務です。
だから、私は、この案に対して賛成できかねます。
 
そして、経済と違うのが、不良品を駆逐するには全体主義になる必要がないって事、ここに尽きます。
私は経済方面については疎いので、何とも言えませんが経験的合理主義に沿って不良品が無くなるわけを考えると、
不良品が発生すると、自社の他の製品も売れなくなるから。不良品のない物を売ろう。
または、不良品が発覚すると、自社の他の製品も売れなくなるから、不良品の発覚は隠匿しよう。
または、不良品が発覚すると、自社の他の製品も売れなくなるから、不良品の発表後は速やかに信頼回復に努めよう。
の3パターンに集約されるのではないでしょうか?
処罰がないと2の可能性が高いから、処罰する法体系が組まれます。
これが、不良品が減る仕組みだと認識しています。
 
この法体系は、生産者に対して製造した物に対する責任があるだけなので、もっと、理詰めで言うと、「製造物を販売した対価である『金』が責任の本質」です。「商品と交換に金を交換したのならば、金の価値の分だけ交換した元の商品について責任を負わねばならない」、逆にフリーウェアは、金と交換しないから(つまり、社会的な価値を持たないので)責任を負わないと言う概念ですね。
個人と経済とでは根拠となる体系が違うわけですから、そのまま経済の理論を転用するのは誤謬を生むのではないでしょうか?
 
氏が言っている「経済的に悪害を生むから、企業の粗悪品の流通を駆逐しよう」のと「ネットワーク全体の情報価値に悪害を生むから、個人の粗悪な情報が出るのを駆逐しよう」は交換不可能な論理です。

もう一つの論駁、(感情論じゃ議論にならん) 〜ディベート技法を絡めてお伝え

今回、私はこの理論の弱点部分を探してみました。

  • 1.2.客が粗悪品を手に入れる確率が増えるため
  • 2.2.書く人が粗悪な罵倒を受ける確率が増えるので
  • 3.1.(情報の)停滞は悪である。
  • 3.2.イナゴ(質の悪い情報)は停滞の原因である。
  • 3.3.故に、(イナゴは)排除しなければならない。

について、論理的弱点がありそうな当たりを付けました。
多分この辺が、論理の弱点部分だと思うので、対抗となる疑問点を挙げてみました。

  • ネットの客とは「書く人なのか?」
  • 停滞は果たして悪なのか?
  • 果たして、イナゴが停滞の原因か?
  • 「逆淘汰を矯正する」のは正しいのか?
  • そして、実際に現在ネットは停滞しているのか?

先ほどのは、4番目の「逆淘汰の矯正」についての是非を言及しました。

ネットの客は誰?

ブロガーがお客なのか? それとも、ブログを見に来る人が客なのか?
論理を般化するときに、主客が逆になっているのではないかなと思ったの。
そこで、気付いたこと
「質の悪い製品を出す会社は、客のクレームに遭う」
「質の悪い記事を出すブロガーは、読者のクレームに遭う」
「質の悪いブクマを付けるブクマニストは、ブロガーのクレームに遭う」
む、、、三すくみ(謎

停滞は果たして悪なのか?

いや、むしろ停滞してるのか? って疑問もあるんだけど……。
停滞は悪って見方もある思想は受け容れるべきかな。

果たしてイナゴは停滞の原因か?

これは、停滞を定義出来ませんでしたので棄却しました。

となると、残ったのが「停滞してるの?」って事

個人的な非論理的な感覚論ですが、別に停滞してないんじゃないの?ってのはある。
進歩はなくても日々、変化はしてると思うけどね。
 
実際には、「停滞している」「停滞していない」というのは非常に主観的な感情論ですから、論理を追及するのはとーっても泥沼化の予想が出来たので、あえてスルーする事にした。

でもまあ

ノイズの問題は認める部分もあるので(スタンスはまるっきり違うけどね)昨日書いたような
http://d.hatena.ne.jp/tot-main/20070615
ある程度、コメントや情報自体をさらにユーザーが評価することで、ノイズを低減させる事が良いかなぁ、すべての情報を見たければ直ぐにでも見ることが可能な手段であることが大前提ですが。

*1:引用者注:やや文章を簡略化して翻案しています