勉強に意味なんてアルワケナイジャン

取りあえず、勉強して何か得がありますか?
って事について考えてみよう。
みんながいかに勉強が素晴らしいかって言われても、私なんかは素直にYesとは言わない訳で……。

ここ数日色んな所で言及されているので尻馬に乗ってみる。
子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
404 Blog Not Found:勉強したら負けだと思っている

結果論者じゃないですが、世の中結果が全てって事もありますよね。
いや、結果を出すための勉強ってのは良いと思いますよ?
ただ、やっぱ、結果を出すのならそれなりの方向性ってのが必要なんじゃないかと思うわけで……。

勉強は大切だと思うけど、勉強だけしていればいいってモンじゃないし……。
結局、何かしらの目標があって勉強する訳ですから、その到達目標とそれに合わせた方向性や、その場に応じた正しい判断や工夫があってこそ、その勉強に意味が初めて生まれるんだと。
そもそも、「何のための勉強なのか?」という到達地点を見据えて勉強をしないと勉強はまったく意味を成さない物に成るんだと思うな。

ぶっちゃけちゃうと、「何のために勉強」するのかって目標が決定できない限り、勉強に意味は無いと思います。
んでだ、「何のために勉強するのか」ってのを見つけるにはヤッパリ勉強ってのが必要になるんじゃないかな? あれれ?

子どもに聞かれたらなんて答えるか?
「勉強自体には意味はないよ? ただ、何かの目的や目標を達成するには知識や考え方ってのが必要になる。色んなスポーツでも走り込みがあるように、ある程度、基礎となる力が必要だからじゃない? スポーツなら体力、頭なら学力って感じで……。」
と、さも優等生的な解答をしてあげよう。
大人って嘘つきだものね。