もう少し突っ込んだ結婚観

昨日の話題「"メタ結婚観"」について別視点から小子化問題についてまで言及する予定。
 

日本における旧来的な結婚風俗

貴族社会=通い婚(源氏物語の世界だね)
農村部=夜這い婚(村内婚とも言われる)
武家社会=政略婚(家同士の繋がりを持たせる結婚形式・村外婚とも言います)

フロイスの日本覚書」と言う本があります。

フロイスの日本覚書―日本とヨーロッパの風習の違い (中公新書 (707))

フロイスの日本覚書―日本とヨーロッパの風習の違い (中公新書 (707))

16世紀布教のために日本を訪れた宣教師が本国スペインに送った書簡です。
ここには、日本は一夫一婦制じゃないぞ!って書いてあります。
つまり、そう言う世界だったって事。

柳田国男の「明治大正史」によると、明治初期までは、一般庶民は「婿入り婚」が多かったとかかれています。通い婚ですね。ただ、武士社会では「嫁入り婚」を行なっていましたがもちろん、個人の自由というのはありませんでした。あくまで「家」の都合です。
ちなみに現在のような結婚のスタイルになったのは、明治政府が「婚姻法」を制定してからになります。そこで、一夫一婦制が導入されたのです。導入の規範となったのが欧州の法律に依ったからと言う見方もあります。
ただ、実際には名士と呼ばれるような政治家やお金持ちはいわゆる「側室」とか妾を持つのは甲斐性だという空気もあったので法律だけの制定だったようです。
ちなみに天皇家でも、側室をもたなくなったのは昭和天皇からと言うことです。

通い婚(詳解)

通い婚、または「婿入り婚」とはどう言った物か?
源氏物語の世界のような恋愛形式ですね。
 
まず、女性が家を構えます。
末摘花なんかは親から受け継いだ家でした。
花散里や朧月夜の君などは親の屋敷内で別邸をもらう形です。
六条御息所や夕顔のように旦那や婚約者との離別や死別でもらい受けると言うのもあります。
そして、その家を公達(♂)が足繁く通うわけですね。
通うって言っても、女性が男性を気に入らなければ御簾すら上げてもらえません。ヘタすると家にすらって事もあったようです。
そして、男達はと言うと気に入られるために、面白い話しをするとか貢ぎ物を持って行くとかそう言うことをしないといけませんでした。ほら、竹取物語の姫も貢ぎ物くれなきゃやだってんで無理難題ふっかけましたよね? アーユー感じです。
んで、上手くいくと「お泊まり」に成るわけです。
お泊まりって言っても男は暗いうちに帰らないといけませんし、後々「後朝の文(きぬぎぬのふみ)」なる物を必ず女性に届けなければなりませんでした。
そして、3日間連続してお泊まり成立すれば、晴れて結婚の段取りが始るわけです。
ぶっちゃけ婚前交渉して相性が悪ければ二度と入れて貰えませんでした。

髭黒の大将なんかは居続けたみたいですが、そう言うのは稀で、結婚しても男は通う形になりますし、女性の機嫌を取って貢ぎ物をしないとすぐに「こないで」って事になります。
子供はとりあえず女性が育てて費用は全て男性負担。ってのが通い婚の常識です。
ある意味、ドライな現代的な感覚だと思うんですがねぇ……。
あ、ちなみにこの方法だと女性が複数の男性と、男性も複数の女性と付き合う事も可能です。
ついでに、生まれたこどもは女性の家の性を名のります。いわゆる母系社会って奴ね。
家督は誰が継ぐのかって言うと、前の家督の姉妹の息子が家督を継ぎます。前の家督の息子達には最初からありません。資産の継承が多少ややこしくなるかも知れませんが、血統の断絶というのが無くなります。つまり、不貞行為による暗々裏な血統断絶は男性側にはあっても、女性側には出産が付くわけですから種は誰であってもいいって考え。

夜這い婚(詳解)

基本は通い婚と同じですね、男が女の家に行く形です。
貴族のように新しく家立てちゃうって訳には庶民ではそうなかなかいかないわけですから、親と同居しているのが通例。
また、表向きは一夫一婦制になっています。
村落に於いては子どもはいずれの働き手だということと、村の財産が外に流れないようにする方法です。
総当たり型という未婚既婚に関わらず全員参加型の夜這い婚の形式もあるし、若衆型と呼ばれる。未婚の男性と未婚または後家の女性だけが参加できる形式もありました。若衆型のばあい結婚すると卒業です。
タブーとしては村の財産を外に出さないと言うことで、村内だけでと言うこと、村外へ遠征するのは御法度でした。
どちらかというと村単位での「共棲意識」が強いのでしょう。

政略婚(詳解)

政略結婚なんて言葉があるように、「血族」と「血族」の均衡を図る為の結婚様式です。
好きでも何でもない家に嫁ぐのはややもすると可愛そうだと思ってしまいますが、「集団維持」という観点から見ると非常に重要な役割を持っています。
こちらは1対1の婚姻形式です。女性側が嫁ぐと言う形になっていますので父系社会と言うことが出来るでしょうか……。

まとめとして

昭和30年から40年くらいまでは、家という形式を持って結婚するのが多かったのです。
家という形式はつまり、生産手段や後継という側面において子を設けるというのが、一つの義務でもあったわけですが、現在、核家族化と言われるように、家との切り離しが進み、社会や集団において子どもを設けるという要請が消滅している。そこから少子化が進んでいるのだろう。
婚姻自体が集団から切り離され、出産というものが社会の方が望まなくなった。残ったのは、誰からも期待されない当人同士だけに期待されてる性だけが残っているのです。
だから、少子化になったんだと分析。