メタ結婚

結婚について語るには幾つかの視点がある。
結婚とは何か?と言う根源的な問題へと指向を持つこの人はとても好ましい人物だ。
全ての問題は根源にあると思う。
社会誓約上の結婚というのは、「性的な繋がりを社会に認めてもらう」という部分と「共同生産的分業によるコスト削減」があるのではないか?
現代の欧州や日本では一夫一婦制なのは前者の「性的な繋がりを社会に認めてもらう」部分に制約があるのではないか?
イスラーム圏の一夫多妻は後者の「共同生産的分業によるコスト削減」に重点が置かれている。そもそもの一夫多妻の原点は「戦争寡婦の保護」が目的であった。
レヴィ=ストロースを見るに「平行いとこ婚」と「交差いとこ婚」の片方は常に文明のタブーであったし、家父長制というものにも文化的な背景がある。
キリスト教という文化的背景や帝国主義列強による植民地化と言う歴史的背景も忘れてはならない。
日本だって「夜這い婚」と言うれっきとした文化を持っていたが「結婚」という形式になったのは大正以降の話しだ。
日本で結婚という形式が取られてのはたかだか100年経っていない。
このような歴史的背景を無視した上で結婚観について述べよなんて言う問題は愚問に過ぎない。

結婚というシステムが本当に正しいのか、という疑問であり、そしてまた改善の余地のないものなのか、という問いであった。

結婚と妊娠はカードの裏表である。妊娠・育児についても考えたい。
一妻多夫というせかいもある。チベットや北アメリカの一部族などで行われている習慣だ。
文化的背景には「男が狩りや商売で家を空けることが多い」事が挙げられる。
子どもを孕んで9ヶ月の間、そして出産して数年、仕事など出来ないと思う。これは、物理的な問題として横たわる問題の一つだ。
乳母という職業を復活させたとしても、出産までの数ヶ月間はとてもじゃないが働くことが出来ないであろう。
つまり、キャリアを持ってる人は妊娠することに躊躇する。
その躊躇を、会社の面接で言って良いべきか、おためごかしの言葉で逃げるか悩んだんだと思う。
キャリアを持ちたいなら妊娠・出産は人生のランクとして低い位置にあるだろう。
妊娠・出産のためにキャリアを積む事を躊躇するならば、会社で働くことの意義を疑問に持たねばならない。
実際この問題は、「柔らかいお題」では到底無い。女性性というもを持った人にとっては、自己のアイデンティティに関わる重要な問題だと思う。
だってさ、「社会と私」という面においては結婚は悪害の一つに成っちゃうし。「私とあなた」という面で見ると子育て妊娠は善でしょうし。「社会と私達」になると出産は善であるし。
私という個が「社会」を重要視するのか、「あなた」と言う他者を重要視するのかで結婚の意味合いが異なってくるだろうしね。

 
第一、結婚という形自体が文化や社会によって大きく異なるのだから、日本という文化を持ったコードだけの視点から結婚を語るのは非常に無理があるのではないか?
文化や、歴史、社会的背景という物を認識した上で相対的に「結婚」を観る必要があると私は考える。
その中で結婚という形やシステムを語るというのは「結婚観」として正しい見方だと思うんだけどなぁ。

そして、彼女のように常に疑問を持って生きるという人は社会として求めるべきだと思うがいかがか?