昨日言いたかったこと

結局、科学ってのはそれほど信頼できるもんじゃないよなんて言う結論に成っていますが、誤解の無いように申し上げると、それでも科学自体は万人が追試やら検証などを行って「現状矛盾がない」という状況になっていることだけは言っておきたいです。
私自身、科学を否定するつもりはないですし。ただ、科学史の知識を知っている以上、「現状では」という部分に重きが置かれている実情は知っておくべきだと言うことです。
私は、中学高校の化学では科学史にも力を入れるべきであるとは思います。
 
冥王星という惑星がかつてありました。
我々の世代では、冥王星は惑星であると疑っていなかったわけです。
しかし、今年の八月には格下げと言うことに相成りました。
 
これが科学の本質です。
いつでも覆ってしまう。それだけの柔軟性が必要と言うことでしょう。
 
BSEについても現状では「異常プリオン」が原因と目されていますが、研究に於いてはこの異常プリオンの数とBSE発症には相関が無いかも知れないという研究結果もあります。
じゃあ、「異常プリオン」が問題じゃないのか? アメリカの牛肉輸入禁止は間違っているのか? と言うと、私はそうではないと思っています。
少なからず危険があれば、「工学的安全」の見地で輸入禁止には賛成しています。
 
科学と工学は意外と反目する存在です。
工学というのは「理由がわからないけど結果としてこうなる」というのを数値化してある程度の信頼の度合いを求める学問です。
科学の本質はその原因を求めるため、アプローチの手法が工学的手法とは若干異なってきます。

似非科学との対立

古今、科学とは蒙昧さからくる常識を覆してきました。
その中には似非科学も多分に混在していたわけです。
ただ、現在の似非科学と旧来の似非科学の違いは、「人口に膾炙してるかどうか」において違っていました。

科学の歴史を言うまでもなく、常に科学の新説は「主張する側が立証責任を負う」事によって成立してきました。
つまり、ゲーム脳にしろ水からの伝言にしろ、既存の設備と精度を超える状況下で実験して、既存の研究結果を覆すのが本来の科学の立場ではないでしょうか?
このような手続をまったく踏まずに、実験と呼ぶのも烏滸がましいような操作で得られた結果を使って、科学界ではなく広く一般に向けて騙るから似非科学やらオカルト理論と呼ぶのです。

だから、わざわざ同じ土俵に立つ必要は全くなく、「正当なプロセスを踏んで居らず、既存の科学認知を覆せるほどの信頼性に乏しい内容である」と言及するだけに止めるのが、本来のあり方ではないか?
と言う話し――。

じゃあ、どうやって似非科学を糾弾するの?

似非科学ってのは、不定で曖昧な科学的根拠という「存在」を信じるところから始ります。
ゆえに宗教と同じ構造なのです。
神と言う「存在」を信じるところから宗教が始るのと同じです。
科学との違いは「科学は生き方を教えない」のです。
生き方を示唆するのはおしなべて宗教です。
 
科学は一切の思想的前提を立てないのです。どっちかってーと哲学な感じ、
神学と哲学ってのがあります。
神学は理性によっては演繹不可能な信仰の保持および神の存在を前提としますが、哲学は一切の思想的前提を立てない理性の学としてあります。

いや、どっちがエライとかソーユー話しじゃないよ?
哲学は神学を否定しないし、神学も同じです。
だって、根本的立場が違うんだもん。

だから、科学は似非科学を否定してはいけない。
同じ論壇で事を構えて来てから、精査するってのが合理的な考え方。
第一、いちいちやっていたら、
水伝・ゲーム脳に続いてID論とかうさうさとか男脳女脳とかApplied kinesiologyとかタキオンとかエーテル論とか高濃度酸素水やら高濃度酸素水やらフォトンベルトやらサラサラ血液やらマイナスイオンやら色々後ろに控えてるわけですよ。
正直「いちいちやってらんねー」だと思うな。
 
日本でID説を教え始めたら私は「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」に入信するわ(あのキャラクタ可愛いもん)