トラバが来たので追記「科学≠万能:科学の限界について」

  • 実験の場で条件として設定されていなかったことについて「その影響はない」と言い切るのはどうなのか??
  • なぜ必ず「影響は目に見える結果として表れる」ということになっているのか??(実験で測定していた性質に変化がなければ「なにも起きなかった」と言い切っていいのか??)

問題点1については、科学哲学で言う「因果律」とか因果論という分野の内容と言うことで受け取りました。それだと、解釈の問題ですから実際に物理現象(いわゆる公理系)とは彼我にある関係とも言えます。
決定論とかも因果律の問題になりますが、実証不可能な仮説に留まる*1から「条件として設定する必要がない」としか言いようがありません(この辺が誤解を生む問題になると予想されます)。
問題点2については、観測されない事象に対する問題と思います。一般には「不確定*2」と取るのが科学的な立場かも知れません。
科学では観測された事象を理論化・体系化する事にあります。逆に言うと観測されない物は理論化・体系化出来ませんので(観測手法が確立して精度が一定量得られるまでは)不定です。
前の記事で「人間の意識の与える影響は現在のところ確認されていません」と書いたとおり観測されるまではと言う条件下の基で科学理論が成り立ってると言うことです。

各論:意識と物理現象との関係を確認する実験

「最初から“人間の意識は物理的現実に影響を与えることがあるのか否か”を確認することを目的とした科学的実験」はあるのか?

については、それ自体を目的とした実験は寡聞にして知りません(科学の過渡期にはあったかも知れませんと言う言及に止めるしかないかな)。
もしあるとすれば、認知科学とかそのへんの分野から出てくるかも知れません。人の意識が物理現象であること、そして、分子や原子またそれ以下の電子やクォークが周囲にどれだけ影響を及ぼすのか? その辺りが体系化できれば、人の意識が物理現象に影響を及ぼす可能性は何%と言う精度で出せる未来がくるかも知れません。
ただし、これの問題点は「クラスター分解性」によって否定されると思います。
つまり、「空間的に十分離れた二つの系は、十分よい精度で互いの因果関係を無視できるという性質のこと」です。“十分”の定義によりますが……。(だから、厳密に言えば「ない」と明言するのではなく十分無視できると言うのが正しい

ただこの現象自体、影響が極小であるため結果として物理現象に大きな影響を与えていない。だから、「確認されていません」という話しになるんじゃないでしょうか?
ミュンヒハウゼンのトリレンマではないですが、必ず何かを保障するためには何処で止めるか? と言う問題がつきまといます。

現代科学の根幹と科学の限界

一般相対性理論の根幹をなす一般相対性原理(general principle of relativity)「物理法則は、すべての観測者(加速系にいるいないを問わず)にとって同じでなければならない」と言う原理があり、全ての観測者の気分によって全ての物理現象が左右される。と言う世界では、その前提となる条件が崩れてしまう。
だから、精神状態によって物理現象は左右されないと言う法則が出る(この辺が先日の演繹的解釈の根幹と言えます)。
そして、「一般相対性理論が真で有り続けるならば精神と物理現象は無関係である」と言う立場を科学は取らざるを得ないだけの話しかと思われます。
(この辺が科学の限界だと思います)

コラム一般相対性理論って実際に役にたっているのか?
なんて、一般の人は思っていると思いますが、実は生活でもよく使われています。GPSの仕組みはまさに相対性理論によって支えられていると言っても過言ではありません。GPS人工衛星に搭載されている時計から時刻情報を含む電波を受信機が受診して、受けた電波の時間差で衛星からの距離を算出してたり受信機の位置を特定するのです。
つまり、一般相対性理論が正しい間はGPSも正しく機能してるってことに?

逆に言うと、新しいパラダイム*3が出来上がるまでは科学はそれに盲従する。と言う言い方も出来るかも知れません。(そいつの善悪問題は置いといて)

コペンハーゲン解釈とか

科学の世界は保守的です。理論として成り立っても観測されない物は否定的な見方を取るものです。
それ故、「コペンハーゲン解釈」も理論ではなく解釈の仕方の問題として見られています。
コペンハーゲン解釈の対案として「交流解釈」と言う代表的な対案もありますし。他にも「パイロット解釈」やら有名な「エヴェレットの多世界解釈」まで色々とあるわけです。
解釈問題は、「実在を観測によって証明することはできない」事が原因です。
トンデモ扱いかというと、哲学的な部分を含むことから取扱注意な感じかも知れません(私感ですが)。結局は「実在を観測によって確認されるまでは保留」というのが科学の立場。
コペンハーゲン解釈とかパイロット解釈とか交流解釈とか、全て「解釈」であり「理論」ではないのです。取りあえず原理を説明する上では矛盾は生じない。でも、キーとなる現象を確認できない。だから、解釈なのです。
解釈は現象を説明する無矛盾な系です。それこそ、小人さんが電子を動かしてるから干渉波が出るんだよと言っても「ああ、それも解釈だね」としか言いようがありません。
科学は、観測されない物には語らないのです。
別な解釈の仕方もあるし、これが正しいって言う観測も出来ないんだから、観測できない以上間違っているとは言えない。但し、シュレディンガー方程式だろうがカオス理論だろうがある程度の精度を持って確率を予測できるのならば、問題ないってのが実情だったり(論理物理学の人以外は)。
コペンハーゲン解釈が何故「標準解釈」なのか?
「もっともシンプルで使いやすい便利な数式」だからです。
コペンハーゲン解釈は科学界では「黙殺」されてるのはあながち間違った見方ではないと思います(だって、気持ち悪いんだもん※ここで、生理的理由を出してお茶を濁してみる。)。
要は、科学者の趣味の範疇であって科学ではないのがコペンハーゲン解釈の現在の立場です。
便利な数式で、ある程度の精度があるという観測事実だけがあるだけ、だからいきのこっている。

ちなみに解釈問題との違いは、水からの伝言は、「観測できないから間違っているとは言えない」のではなく「実際に観測できたのか」という違いです。

科学の厳密性

そういう厳密なものではなくても構わないので、「やったけれど、なにも起きなかったよ」ということを上手に宣伝すれば、すでに信じている人はともかく、ふらふらしてる人は疑う側に傾けられるのではないかと考えています。

これやっちゃうと科学じゃなくなるのよねぇ。
としか、言いようがないってうか。
適当にやっちゃうと、隙を与える結果になるのですよ。
常温核融合」とかの話しを見て貰えれば、どのような悪影響があったのか理解できるかと思います。

「現代の科学では私の理論を覆すような結果は出ていない」なんて言うトンデモ派生理論をぶっちあげられる可能性は排除したいですしねぇ。
だから、厳密にする必要は非常に高いと思います。

あと、厳密に説明するには文章が冗長してしまうので、言い訳っぽく見えるのかも知れません。
 
 
P.S.

ROYGB :
もう一つ観測によって状態が決まると考えられる量子力学観測問題でも意識が現実に影響しますね。

コペンハーゲン解釈では、観測を行った瞬間状態群が一つの状態に収束する(波動関数の収縮)ので「猫が生きていると良いなぁ」と言う意識で開けても確率的に収縮するだけで、観測者の意識とは関係ないです。
多重世界は当たり前ですが、重なり合ってますので人間の意識に関係なく、たまたま、その世界が確定しただけと言う解釈。
量子デコヒーレンスについても同様で人間の意識よりは体温とかそっちの情報の方が影響度が高いので意識単体の観測は不可能です。

*1:この辺の説明は、みちアキさんの所のコメントでアウ氏が説明されているような感じです。

*2:かっちょろげに「不確定」なんて言ってますが要は解らないってことです。

*3:パラダイムという用語自体に色々な問題を含んでいますが、規範とか文化的要請程度にお考え下さい