学力と知恵と知識
物語のなかでSFと言うジャンルは読者の基礎知識に依存する文章かも知れないなぁと思ったんです。
もはや古典の領域に達している数々の作品。J・P・ホーガンとかアイザック・アシモフとかロバート・J・ソウヤーとかの作品は一般的な科学知識がないとついて行けない場合もあるのではないかなぁと思ったわけです。
例えば、「未来の二つの顔」という作品があります。
Baen Ebooks
例えばこの作品に登場する「ヤヌス」。ヤヌスを理解するには幾つかの基本的な知識が必要になってくるわけですよ。
例えば、遠心力による疑似重力発生とか。コロニーとか……。
大体、天動説を唱えていた中世でこんな世迷い事言ったら火炙りですよ。パリパリの良い感じに焼けちゃいます。
今の学校教育で授業として天動説教えるのは中学校2年生だったかな?
それまで、小学生が地動説を唱えてもビックリしちゃいけないわけです。
惑星も星も月も一緒くたに星という言葉になってるんですから。
下手すると高校卒業しても歳差運動とか知らんかもしれん。
てか、今この文章読んでる大人の方も「歳差」って何? ッテ聞かれたときに正確に答えることが出来る人なんてすくないのかも……。章動や極運動とか、SF読むためには地学や天文学と言った科学に対する知識が必要になると思うのですよ。
先日中3の女の子から訊かれた理科の質問。
「なぜ火星に入れないの?」
火星に入る?ちょっと待て。何だ、それ。成績も学年で上位25%ぐらいの子である。学校の授業は基本的に真面目に受けてきた子である。その真面目な中の上ぐらいの成績を取る中3の女の子が「火星に入る」などという珍妙なことを言い出すのだ。「火星に入る」という表現が何を意図しているか色々と尋ねながら探っていったのだが、「火星上では生きていけない」ということを「火星に入れない」と言っていたことが分かった。さらに彼女に色々尋ねてみて、彼女が天体に関して驚くべきイメージを持っていたことが発覚した。
- 星は平面で球形のカプセル状のもので覆われている。(「入る」という表現はこのあたりからきているようだ。)
- 上記のようなイメージを持っているので、「地球が自転している」という発想はない。
- だが、「地球そのものが球形だ」と指摘すると、それは分かっているらしい。
- 月も火星も昴もまとめて「星」。「星」に種類があるとは思わない。
- だが太陽や太陽系や惑星といったものは知っている。
と言う記事を見て思ったこと……。
そんな感じの知識だと「星の王子様」ぐらいがギリギリ読めてハードSFは読むことが出来ないと言う事実。彼女の発想は「かわいらしい」と言うべき状況なのか? は大いに悩むところ。中学3年でこの認識は立て直すのに時間掛かるんじゃない? と思った。
自分の中の常識が出来上がってしまってから根底を揺るがす事実を知ったときは拒否したくなるし、理科嫌いに為るんじゃないかなぁ……。
実際には、科学の分野でも歴史の分野でも既存の常識が覆されるってのはよくある話し。
私なんて、四大文明で勉強したしね→世界史
私は、『アシモフの科学エッセイ』なんか読んでで育ってきた人間なので。
時間と宇宙について (ハヤカワ文庫 NF 23 アシモフの科学エッセイ 3)
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ところで、科学的知識と感性は決して相反する物では無いと思います。
私は彼女が非常に高い推論力を持ってると思いました。
彼女に与えられた幾ばくかの情報が統合されて間違った認識になっているだけです。むしろ、論理的な思考の結果だと思います。
- 月も火星も昴も4年の時に学んだ「星」という概念に属する。
- 星の定義は夜の空の光点である。
- 逆説的に太陽と月以外は夜にしか見えないから、火星や木星は「星」である。
- 従って、太陽と月以外は「星」である。
- 同じく、太陽及び太陽系(惑星)も学んだ。
- 地球も太陽の周りを回っている。火星もそうだ。
- 月は惑星ではなくて地球の周りを回っている衛星という存在らしい
- よって、星には「地球を回る物」「太陽を回る物」「それ以外」の3種類だ。
- 「地球」「火星」「木星」は仲間である。
- 火星は自分の目から見て小さい星である。
- でも、火星の大地の画像は見たことがある(一時期ニュースにもなってたしね)
- 小さい星に人が立つためには平面でなければならない(この辺に発想の飛躍が見られる)
- 同じく火星には大気があるらしい
- だから火星には平板な土地と大気で構成されている。
- 小さい星で大気が逃げないのだろうか?
- 宇宙飛行士が宇宙服着るのも空気をなくさないためにあるんだ(半分あってる)
- だから、火星にはなんらかの膜が必要なんじゃないか?
おおよそ、上記のような思考形式じゃないのかなぁ?
と言う感じの発想の飛躍だと思うのですよ。
演繹的な論理展開を使うと良くある失敗に、前提条件がおかしいと得られる結果もまたおかしいと言う状況が発生します。
彼女は自分が持っている科学的知識を活用してこのような発想を持ったのだから、前提条件となる知識をもっと増やせば良いのではないかと思うのですよ。
知恵はあっても知識がなければ正しい推論は得られませんと言う話し。
そう言った意味で、彼女の推論力(知恵)は高いと思います。だから、もっと必要となる材料(知識)を与えてあげれば自分の力で正しい推論を出せると思います。
ゆとり教育の目的は「詰め込み思考」から「自分で考える学力」への転換がありました。
だからこの事例は、ある意味成功例の一つとして良いのではないでしょうか?
ただ、正しい推論をするのには前提条件となる様々な情報を「詰め込み」しないといけないんだねぇと言う感想しか持ちません。
この子たちは無知であるがゆえに常識にとらわれない柔軟な発想ができるんだと思います。
極端ですが、自分で仮説を立ててるといった感じでしょうか。
と、同じ考え方なのですが、私はどうやら悲観論者ようで……。
私が思う「ゆとり教育」の弊害はこのような基礎的な情報が相対的に少なくなっているため。推論力が幾らあっても常識的に間違った結論が出されるのではないかという危惧です。
子どもたちは「未来の二つの顔」の人工知能HESPERに似ていると思います。
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ある日、月面の工事の一環として丘陵の掘削を推論コンピュータに命じたところ、端末に表示された予定工期は工事担当者の想像よりも遥かに短いものであった。これから工事機械を手配して運搬し、施工にかかるだけでももっとかかる筈なのに、そう訝る工事担当者を突然の衝撃が襲う。やがて衝撃がやみ、怪我の応急処置を終えて立ち上がった担当者の目前からは丘陵が消えていた。そして端末には、工事結果の評価を問うコンピュータの確認画面が……
事のあらましを調査したところ、推論コンピュータが配下のマスドライバーを制御し、荷物を所定丘陵に落下させて破砕する手法を編み出して実行したものと判明する
推論力だけでは、月にマスドライバーで岩石をぶつけて整地してしまうのと同じ状況に為るんではないかと危惧するわけです。
推論自体は正しいのに、予め与えられた情報に不備があったために人間から見て異様な動作を行ってしまうと言う恐怖はなにも機械だけの物ではないと思うのですよ。
学力というのは「知恵」と「知識」の相互作用だと思うのです。
知識だけの昔の詰め込み型学習ならばただのデータベースですし。
知恵だけ入れても、ただのガラクタに成り下がっちゃうのではないでしょうか?