一昨日、昨日の続き:MMORPGのデザインとは

おそらく三部作で終わりにする予定。

MMORPGゲームデザインとは

いわゆるコンシューマのRPGゲームデザインを「いかにロビンソン・クルーソー*1が生活しやすい島を作るか」がRPGの基本です。
対して、MMOの場合だと「15少年漂流記((原題は『二年間の休暇』(Deux Ans de Vacances)))」の島を作る話になります。

人間の欲望とデザインの失敗

人間の欲望という物はなかなか操作し辛いものだと思います。
ユーザーが欲望に流された場合、ロビンソン・クルーソーの島は平家物語の「俊寛」になってしまいますし、MMOの場合だと「蠅の王*2」になるのでしょう……。
スタンドアロンなゲームの場合は「俊寛」になることはほぼ皆無でしょうが、MMORPGの場合はユーザー一人一人の指向や文化などによって「最大多数の最大幸福の原理」が働きスタンドアロンよりも複雑な世界観や法則性を見出さないと、「蠅の王」状態になってしまう訳です。

「蠅の王」から見たMMORPGの行く末

「蠅の王」のあらすじやテーマを知ってないと付いていけないと思いますので、先に蠅の王の話しをしましょうか……。

蠅の王 (新潮文庫)

蠅の王 (新潮文庫)

舞台は、近未来のイギリス。戦争により疎開する少年達の乗った飛行機が敵軍の攻撃により墜落、パイロットは死亡、少年達は南太平洋の無人島に漂着します。幸いなことに無人島には豊富な果物があり、野生化した豚がいました。
少年達は、年長の少年達が中心となり、なんとか島の生活に、大人のいない生活に適応しようとする。
まず、投票によって少年達のリーダーとして「ラーフ」が選ばれます。
また、片腕としてビギー(太っていて近眼で元いじめられっ子、でも理性的)が選ばれます。
この二人は、住処を作り、助けを求めるための狼煙を上げて規律正しく理性を重んじてみんなと共に生きようとするのですが、ラーフがリーダーとして選ばれたライバルのジャックは、彼に反発し、狩猟部隊を結成して思いのままに生きようとします。メンバーは次々とジャックの狩猟隊へと流れていきます。
蠅の王はこの理性と欲望の二項対立をテーマとして持っています。
いつしか子どもたちは島に住まう謎の生物の存在を知ることになります。子どもたちは騒ぎ始めるのですが、理性隊、欲望隊問わずにです。みな、心の中では恐怖を感じながらも「島の生活には関係ないこと」として忘れようとします。
そこからだんだんと歯車は狂っていきます。理性隊は失敗が続き原因を欲望隊に求めますし、欲望隊は恐怖を紛らわすために、踊り、歌い、楽しみのためにだけ生き、顔や体中に豚の血や泥を塗りつけペインティングをし狂乱の最中にいます。
そして、理性隊を誘惑するわけです。


ただ一人、理性隊のメンバであるサイモンだけが謎の獣の招待を捜しに島の奥地へと向うわけです。そこで、サイモンは「蠅の王」と対峙し悟るわけです。
獣は、一人一人の心の中にいて、その正体は闇である。そして多くの人間は自分の闇を認め克己する努力をすることが出来ない。
理性隊の隊長であるラーフや片腕のビギーでさえも自分自身の内部に住まう獣については認めることが出来なかったし、ジャックは獣を克己することが出来ませんでした。
ただ一人、蠅の王と戦い自分の暗黒を克服したサイモンは、皆に獣は倒すことが出来る事を伝えるために走る訳ですが、時既に遅し、少年達は獣になっていた。


と、言うような吐き気を催すような内容の本です。
こういう物ほど子どものうちに読んでおきたい作品の一つではあると思います。
作品の流れとかは「バトルロワイアル」と一緒ですが、洗練されています。

補足
結構人によって意見が分かれるわけですが、「子どもには教育が必要」って理論に帰結する人も居るようです。
いくら何でもこの物語からリアルを思い浮かべられるその幼稚な想像力には脱帽せざるを得ないですが、「秩序」と「混沌」をテーマにした物語ですから「少年犯罪→教育論」に持って行くのは個人的には辞めて欲しいところ(笑)

実は映画もあります。

補足2
美少年多くて、聖歌隊の男の子達が豚の血をお互いの顔に塗りつけるのは結構エロティックだったなー。やおい
サイモンと蠅の王との対話のシーンがカットされててサイモンと他の少年達との対比とかが出て無く平坦な印象を受けました。

「蠅の王」から見たMMORPGの行く末(II)

あまねく世の中は混沌に向って行きます。
エントロピーを出すまでもありません。
悲観論ではなく現実論です。フクスイと言うエライ坊さんが旅に出てお盆に帰れないように(覆水盆に返らず)、マクスウェルの悪魔も仮想の域を出ないので、冷たい瓶と暖かい瓶に分けることも出来ないのです。
そして、MMOにおいてはキャラクタ名と本人を繋げる接点がほぼ皆無であるため個人の秘匿性は保障されます。
個人の名前が秘匿されれば、基本的に人間は本音と悪意に支配されちゃう人間も増えるわけですね。(ex.2chなどを参考にすべし)
MMORPGの世界はその点に於いて、ジャック率いる合唱隊が顕在化する要素を多分に持っているのではないでしょうか?
MMORPGがだんだんと殺伐してくるのはプレイヤーの中でも快楽主義者の「聖歌隊」のうち強い物だけが生き残り取捨選択されて淘汰されるから殺伐とするのかもね……。

「蠅の王」から見たMMORPGの行く末(III)

実際には、蠅の王は秩序と混沌をテーマにしているわけで、MMORPGにおける秩序と混沌はどのようなものかなと考えてみる。
MMORPGにおける秩序と混沌はつまり、ゲームのプログラムされた範囲での行動がそれに当たる、実際には行動の自由性が増えれば増えるほど秩序は薄っぺらくなり混沌としてくるのでしょう。
PKが出来ないゲーム設定ならプレイヤー同士の殺し合いは出来ませんし、出来ないとなるとMPKなどの行動に出るわけです。そして、MPKすらできないゲームデザインはその自由度を減らすのと同時に「クソゲー」の栄誉を得ることが出来るのです。
秩序だったゲームというのはすべからくクソゲーの称号を得るのにふさわしいと思います。
また、行動の自由度を増すごとにそのゲームは面白く混沌へとむかって突き進むのです。
つまり、面白いゲームほど自由度は高く、そのためユーザーの取り得る行動は多種多様で混沌としていく、ユーザー個々の楽しみの中から負のベクトルを持った楽しみ方をする人が増えて殺伐としてくる。

*1:原題:"The Life and strange surprising Adventures of Robinson Crusoe, of York, mariner, who Lived Eight and twenty years all alone in an uninhabited Isiand on the Coast of America, near the mouth of the great River Oroonque, having been cast on shore by shipwreck, where-in all the men perished but himself. With an Account how he was at last strangely delivered by Pirates, Written by Himself."
邦題:「遭難して他の船員が全滅した中で唯一助かってアメリカ海岸オリノコ河の河口近くの無人島で28年間たったひとりで生き抜いたヨーク生まれの船員ロビンソンクルーソーの生涯とその驚くべき冒険.海賊に発見されるまでの一部始終を彼自身が書き記した」

*2:原題:"Lord of the Flies"