みんなが考えている愛国について考えてみる。

取りあえずの論点は、教育基本法案に組み込まれる愛国と実際に感情面で感じる愛国心との乖離。が論点だと思う。


取りあえず人が感じる愛国心ってのはようは「共同体理念(血族と地縁と大地の理念)」って奴でしょ?
でもこれって、経済的合理主義で見れば、極めて非合理なものを様々に孕んでいる訳です。経済的合理主義は個人の利得を最大化することを要求しますから。
取りあえず日本が歩んできた歴史を考えれば「経済的合理主義」が中心となって動いているって事に理解いただけると思います。
なぜ、生まれ故郷を愛するのか、それは決して経済的合理主義では説明できない上に、むしろ非合理的で打破すべきものに見える。それは”無駄”に見える。だから、愛国心って必要なの?って帰結になるわけですよ。

補足
何が悪いって訳ではなく、現状の世界はこのような認識において成り立っていると言う立場です。

筒井康隆文学部唯野教授の女性問答」より――

高い学歴の人は男でも女でも、どうしても知的労働をしたがり、女性は家事などの肉体労働を嫌うようになります。それに最近は妻が夫より高学歴、なんて家庭が増えました。女性の方が優秀で、大学に入るのも男性より多かったりする。子供を生む人が減るの、あたりまえだよね。
「このままでは日本の人口が減少する」などというのはナショナリズムであり、国家のエゴイズムです。全世界的に人口は増加しているんだから、地球環境的にも出生率の低下は望ましいことです。

国によって強制的に、愛国心を唱えられるというのはナショナリズムであり国家のエゴイズムである。っていうのが反対派の意見だと認識しています。

 僕が疑問に思うのは後者の立場なんですね。「愛国心」という形で政府や国というものに帰属させられることを厭うのに、自分が「日本人」であるという意識は否定しないというのはなんとも矛盾しているように思えます。なぜなら「日本人」という概念自体が「日本」という国家を基準にしたひとつの縛りであるからです。

Akky/吉田照彦氏の勘違いは日本人=日本国民=日本政府って言う考え方にあるんだと思います。
特に、日本国民=日本政府っていうのが勘違いの元だと思います。民と政は別物、ある時には対極に属するって私は思います。
政府が経済的合理主義を推し進めているのに、破綻が生じ始めているので、国家のエゴイズムとして経済的合理主義に反する「愛国心」なる物を導入するという事に反対する。
これが、実際の流れではないでしょうか?


私は、国家が強権的に、国家共同体の衰退を防ぐための施政において個々人を抑圧するようなことには明確に反対です。
愛国心云々の有る無しにおいて、教育基本法案に反対する事由には成らないのだと思います。

今回のまとめ

愛国教育だから反対ってわけじゃないのよ。
国家共同体の衰退を防ぐためのエゴイズムな施政だから、
反対してるのよっ。