ヒト、モノ、カネと等価なもの

先に結論から言いましょう。「情報が人、物、金と等価である」ことを知っている世代なのです。
情報を得るためには、対価として何かを支払うことを知っている世代なんだと思います。
氏の言う電車男がどの当たりを指しているのか解りませんが、NDOメソッドなどは、情報を得る対価として今まで自分で集めた情報を公開する。つまり等価交換が行われる仕組みだと言えるわけです。(前提条件として「必ずWin-Winの関係になる」事が必須ですが)

私にとって驚きなのは、それが自然と出来る人たちが存在するということなのである。電車男とかNDOメソッドというのは、かつてはほとんどありえなかったと思う。彼らは実に自然体に素直で、自然体にわからないことをわからないといい、そして自然体に与えている。彼らにおける虚勢の不在は驚きに値しないだろうか。

彼らの特徴は、平然と足りないものを要求しつつ、足りているものは鷹揚に与えていることにある。

ずうずうしいという言い方もあるかもしれない。身の程知らずという言い方もあるかも知れない。しかし私はこれを進化だと捉えている。かつては与えるという行為は、必要以上を得て始めて可能ではないかと理解されていたと思う。礼節は衣食が足りなければありえないはずだったのだから。

私なども、香山リカ氏の言われる「貧乏くじ世代」の一旗手であるわけですが……。
我々の世代は、物心ついたらバブル景気でお祭り騒ぎ。んで、このまま続くかと思ったらバブルが弾けて大学出る頃は「過去最悪の……」という定冠詞と共に「就職氷河期」でした。
企業としては、既存社員の囲み込みで新規は取れないし、既存社員ですらワークシェアリングで手取りが減ってるような時代ですかからねー
そうそうに見切りを付けたというのも致し方ないのかも知れないな……。

前半部の、既存雇用者の既得権保護によって新しい人材の登用が停滞しているという考えはおおむね正しいと思います。
あと、数年で定年退職者の増大によって企業がどんな動きを取るのか非常に興味深くみています。
少子化の影響で、退職者の量より新入社員の量の方が少ない訳ですから――
既存の企業資源をいかに若い世代に譲渡していくかっていうのが2,3年後の企業の重要課題の一つに成ると思います。


そう言えば、今のニート世代ってちょうど、彼らの息子世代なんだよなー
父ちゃん会社退職したら働く気なんだろうかな?
ニートっていうより、入れ替わり世代なのか?


特に我々の世代は、社会に出る前にパソコンが普及し始めた最初の世代とも言えます。
特にネットの普及は鳴り物入りで導入されたと同時に爆発的に広がったわけです。
言い換えると既存システムとの絶対的な違いを肌で感じ取った世代でもあるわけです。


だから、既存のおとな社会との違いをハッキリと認識していて「我々は、彼らとは違うんだ」と思ってるわけです。
それ以前もやっぱり「彼らとは違うんだ」と思っている若者が居たわけですが、あれは、人間として違う、日本人として違うと言った比較的近い存在として違いを認識していたのですが、今の若者は「生物として違う(=だから話し合いやら闘争といった形はエネルギーの無駄遣いだ)」と言うことを何となく認識しているんだと思うのです。
ある意味ではニヒリズムが浸透していると取れるかも知れません。
自分たちとそれよりも大人の社会とでは言語や文化のスキームが違う訳ですから、話したとしても平行線だろうと解っているわけです。
だから、憎しみは生まれない――だって、憎しみを持つって言うのは相手が同じ土俵に上がっている事ですから……。
かといって、蔑視しているわけでもないです。
蔑視っていうのは相手より価値が低い物って言う見方をするわけですけど、これも、ある一定のグループ内での価値の上下関係があって始めて差別が生まれるんですが、あからさまに違っているって解っているものを蔑視する事もないでしょう。
あなたは、「ボール」や「コーヒーカップ」を蔑視しますか? っていう話しです。
我々は彼らとは違う、話し合いにも成らん! って解っているで、蔑視と言うよりも「区別」して棲み分けしていると言う感じでしょう。
我々若者は、そんなに熱くないです。熱くなる必要も無いしね――