よしなしごとの小品集

空気読めない奴の発言は政治を面白くするよなー

昨日TVを見ながら思ったこと。
あれを狙って言えるんだったらとんでもねー食わせ者だと思ったけど。恐らく天然。
でも、アレが当選するんだから日本って……謎。

有権者のお灸

私の周りの主婦層の方々も、最近自民党調子乗ってるからお灸据えるって言ってた。
今回の結果見ると結構そう言うことあるんだなぁって思った。

愛国心の定義

愛国心と郷土愛は似て非なる物ですね。
愛国心はあくまで人工の物ですから、いびつ。

教育と愛国心

平成版の教育勅語でも作ったら?(いやみ)
「国民道徳協会」の訳は微妙ね。頑張って現代用に替えようとして本義が微妙に変ってしまっている。
教育勅語自体は良いこと書いてあると思うよ?*1
一番の問題点は、運用した人が原理主義だったって問題なんだろな。

原理主義

楽な行き方だとは思う。
いろいろな意味で判断停止してるところが――語源が宗教ってのもある意味では「判断停止」と相性が良いんだと思う。

魔法と科学

「<魔術>は、<最上>かつ最も<神聖>な<自然科学>の<知>であり、物事の霊的な陰秘の美徳に関する正しい理解により、その作業と驚嘆すべき操作は高等なものである。したがって、真の<動作者>が適切な<受動者>に適用されるならば、新奇で見事な効果が生み出されるであろう。そのため、魔術師たちは該博で勤勉な<自然>の探求者なのである。彼らは、自らの技量により、卑俗な者には奇跡としか思われない効果も予測する術を心得ている。
『ソロモン王のレゲトン 或いはゴーティア』

ソロモン王のレゲトンはまたの名を、ソロモンの小鍵と言って中世ヨーロッパのグリモアとしては一般的に名の通った本ですが、かなり胡散臭い本。
何が言いたいかって?
科学が発達していなければ魔術もまた科学であった。って事。

受け答え

「御免なさい、私、皮膚で呼吸できるような珍奇な性能持っていないの……。」皮膚呼吸についての返答
「採血された時点で空気に触れてるんだから凝固作用するのは当たり前じゃないの? いや、むしろ固まらない方が不健康じゃないの? 血小板足りてる?」血液サラサラに対する突っ込み
「ねね、酸化って酸素と結合するから起きるんだよ?」高酸素水を勧めてきた友人に対する受け答え

似非科学批判の落とし穴

「全てはプラズマで説明できるんです!」

近親相姦のタブーについての説明

良くあることに、「劣性遺伝が発現するから」って説明があるんですが、劣性≠劣悪です。と言うO型*2の人の叫び!

名前の呼び方

私という個体が他と分別可能なら好きに呼んで下さいな。

アメリカと戦争

アメリカはベトナムで何を学んだんだ!?」
「あー、、、アメリカではベトナムは無かったことになってるんです」

女性のスパイ

マハ・タリよりはシンシアの方が好きだな。

はてブの法則

正論よりも異論の方が集まると言う話し。
正論は、自分と同じ考えなんだからわざわざブクマしなくてもOKだけど、異論は、コメント付きで何か言いたい。

文明と文化の違い

文明=都市国家の発生以降の文化(つまり都市の文化を文明という)。

都市国家成立の条件と発生推移(めも)

他国が攻め入ること⇒防衛のために城塞の誕生=同時に軍隊と統治機構が発生⇒統治機構に権威を持たせるために、王権神授の概念が誕生⇒神殿の発生⇒王権維持のために官僚機構が生まれる⇒文字・法律・金・算術の誕生

Horace,Sat., I, iii,99.

Cum prorrepserunt primis animalia terris, Mutum et turpe pecus, glandem atque cubilia propter Unguibus et pugnis, dein fustibus, atque ita porro Pugnabant armis, quae post fabricaverant usus : Donec verba, quibus voces sensusque notarent, Nominaque invenere : dehinc absistrere bello, Oppida coeqerunt munire, et ponere leges, Ne quis fur esset, neu latro, neu quis adulter.

ホラティウス『諷刺詩』第一章第三節九九。

言葉を持たぬ下等の群れたる動物が最初の土地を這い回ったとき、彼らは樫の実と巣窟とを求めて、爪と拳で、次には棒を持って、そして最後には習慣が作り出した武器を持って闘った。彼らが音声と意味とを表現すべき言葉及び名詞を発見するまでは。その後彼らは戦を避け始め、市邑を建設し始め、何人も盗人たるべからず、また追剥ぎたるべからず、また姦通者たるべからざる旨の法律を制定し始めた。

*1:「緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の部分は解釈如何の問題があると思うのでね。

*2:もちろん、血液型のO型は劣性です。

突っ込み講座

釣り人と自称されているようなので手加減無しで突っ込みしてみるね。

みんなって誰、失礼、一部の自分の記事をはてブした人達。なら宗教ってなに? 

はてブはしなかったけどお答えしますね。
宗教ってのは、神とか聖なる物とか超越した人物についての信仰や信念を、信仰者本人の態度や行動によって社会システムに組み込まれる事を宗教って言います。科学の違いは、その神とか聖なる物とかの存在を「必ずあるもの」として認識するところが違います。
科学の世界では、「必ずある」という事を否定する考え方です。例えば、「暗黒物質」なんかも取りあえずあれば現在の現象を説明可能だから「存在するはず」と定義することが大きな違い。

宗教と科学が別な物とハッキリ区別できるなら19世紀に神は死んだなんて誰も叫ばなかったろう。

ニーチェは別に宗教と科学を未分別で叫ばせたんじゃないんですよ?
「理性による神の殺害」と言ういい方もされますが、このセリフに登場する「神」というのは、カントの言う「理性的存在者一般」に近い存在で人も神もその同類項に入ります。19世紀の世界的現象を見ても、ダーウィンの進化論が登場し、人間の祖先はサルだ! ってことで人間が神に愛された特別な存在という考え方にNOを叩き付けられたし、(ニーチェよりは時代は下りますが)フロイトによって無意識という「理性では制御できない自分」が発見されたり。つまり、それまで信じられてきていた精神的なバックボーンであるキリスト教の世界観がガタガタになった時代に、「その世界観(この場合、理性を中心とした世界観やキリスト教の世界観の事)は壊れたんだ!」と叫んだのがニーチェの「神は死んだ」発言なのです。
ニーチェはこのセリフを書いた『悦ばしき智慧』(1882年)の翌年から執筆される『ツァラトストラ』以降の思想と切り離すことは出来ません。信じるべき拠り所を失った事により、ニヒリズムが発生してそれを否定せず。また、キリスト教の否定により最後の審判も亡くなり、時間というのは「永劫回帰」であり、個々人がそれぞれの役目を果たさねば時間という物の中で希釈される。その恐怖に耐え、「超人」となれ!と続くのがこの発言の本当の味方なのではないでしょうか?

そういう考えは共通一次以降の問題が初めに在りきで答えは○か×を答えればいいという考えが習慣化しているからだ。

えーっと、言いたい意味が掴めませんでした。世の中を二分岐で表現する手法に異を唱えていると認識すればいいのでしょうか?
宗教だと、神の存在は常にYesで、世界は神が作ったってのもYesです。つまり分岐もしない世界ですね。宗教だと常に一つしか答えしかない世界で、そのような考え方が習慣化してるからだ! もっと世界は複雑で分岐すらない世界観では真理を表現できないぞ!と突っ込めばいいのかな?

宗教とはこの世界はどうして始まってどうなっていてどう生きればいいのかに応えてくれるものなのだ。

そう言う思想を「原理主義」と呼ぶんですが、逐語霊感説を唱える福音派なんかは最右翼。聖書をそのままに「文言を鵜呑みにする」ように読むべきと言う教義は、私から見ると生きにくいだろうなぁなどと、感想を持つわけですが……。
あ、大丈夫! 別に否定はしないから「生き方自体」は。ただ、それを自分だけの心にとめておいて、科学とかを否定しなければ攻撃しません。あ、いわゆる専守防衛ってやつ? そりゃー、「聖書に書かれているからE=mc2は間違ってる!」とか言われたら反駁せずには居られませんからねぇ……。

この宇宙がどうやって始まったのか。神が開始したのか、ビッグバンで全てが始まったのか。さぁどちらを取るのだ、とした時殆どの人はやっぱりビッグバンを取るのでなかろうか。
その採用理由は自分で考えたわけではなかろう。科学界が概ねその意見を採用しているからという理由にすぎない。

科学が信用される理由は、検算できるって事です。つまり、誰がやっても同じ結果が出ますよ〜って言うことですので、科学界がおおむねその意見を採用している場合は、つまり検算結果に齟齬が出なかったって事です。故に信用に足ると言う論理構成です。採用理由としては当を得ている気がしますが? なにか問題あるのでしょうか?

そこでも様々な考えは分かれてビックバンはなぜ始まったの。そこに神の介在があるのではと考える人もいるかもしれない。だとしたら科学が解けない部分で神を介在させて科学の上位に宗教を置く物なのだろう。

別に、この理論はアインシュタインも否定してません。ビックバンより前の世界とかビックバンの発生原因については、説明できる確固たる理由がなければ「神が作った」って言っても良いし。「天矛鉾」で世界をかき混ぜ始めたって言っても良いんじゃないんですか?
ただ、ヴィトゲンシュタインのように「語り得ぬ事には沈黙しなくてはならない」というのが理性的な態度だと思いますがね。
科学者は理性を愛しますから語り得ないことについては沈黙をするのです。

 兎に角、科学が一般に普及するまでは神がこの世界を創ったという事に殆どの人は合意していたのだしそれが依って立つ人々の足場であったはずである。ところが宇宙の始まりに神は介在せず物理現象のみで説明が付くならばこの宇宙の原理は科学だけで説明つく事になり神は用済みとなる。それが神は死んだという認識ではなかったのか。

まあ、ニーチェの「神は死んだ」の通り、キリスト教の世界観は否定されていますからねぇ。第一、キリスト教じゃなくて仏教の世界では世界に始まりも終わりもないって世界観ですよ? この世界観を『法(ダルマ)』と言います。仏教徒なら「世界の始まり? なにアホなこと言ってんだ! 世界は昔っからあるし、未來に於いてもあるだろうよ!」って一蹴されます。つまり、世界の始まりは神が作ったという概念のない宗教もある以上、それが寄って立つ人々の立場って言うのは疑問が出ます。

それ以降の人間は神を大事にしても常に本当は神は宇宙を創っていなかったんだよな、でも長年の習慣から一応神に敬意を示しておくことが大人の振る舞いとして求められてきたのだ。そういう不信人な人ばかりで過去の遺産のように生きながらえている宗教に対して科学と宗教は別だと言うのはまったく宗教を馬鹿にした扱いである。宗教も大事だよ形だけだけど中身はないけど大事にしてますよというスタンスだけが重要というわけだ。はっきりさせようじゃないか。あなたは神を取るのか科学を取るのか。

この辺に勘違いがあると思うのですが、「科学は生き方を示しません」しかし、宗教は超越した存在を基盤として人「個人の生き方を定義」します。神は居ても居なくてもこの生き方の論理は合理的で正しいのではないか? って言うのが現在の(ヨーロッパやアメリカ北部の)キリスト教における主流な考え方です。言葉に魂なんて無いから、薄汚い言葉で他人を罵っても構わないって言うくらいの暴論。科学と道徳は違うでしょ? 宗教自体は生き方の学問ですから、そのような意味で二元論を唱えるのは科学と宗教に対して逆に失礼でしょう。

人間の奥底には依って立つ足場が必要なのだから科学も宗教も役割分担なんて生易しい事ではないはずだ。というより現代人は科学が普及する前の人間の世界観なんかとっくに忘れてしまったと言ってもいい。

それが、文化的進化っていうもんでして、いまさら魔女狩りとかされてもねぇ……。
所で、「正反合」ってのがあります。英語だと「thesis(テーゼ)・antithesis(アンチテーゼ)・synthesis(ジンテーゼ)」っていいます。社会もこの正反合によってどんどんと良くなっていくっていう論理がありまして。懐古主義は保守にあらずと言うように、時間軸が一直線にしか流れない以上そこに留まるって思想は甚だしく歪であると認識しますが……。
また、宗教の発生以前の世界がそれ以前にあったことを忘れていませんか? 彼らは、寄って立つ足場は何処にあったのでしょうか?
宗教がそれを肩代わりしたんじゃないんですか?

そういう器用な生き方なんてまずできない。人間が本当に信じてる物は一つしかない。あれもこれも信じるなんて芸当は殆どの人は無理。その場所を巡っての争奪戦が19世紀に勝負がついて科学が勝利したから神は死んだと叫んだのだ。だから現代科学は宗教に取って代わった正嫡子なのである。誰も彼もがそこを基準に思考を始める。それはまぁ現代では仕方がない事なんだ。誰もこの事から逃れられない。

科学と宗教を佃煮にして考えちゃうとこういう結果になるよね。
そもそも、科学と宗教の目的が違うのに一緒にするから、なんか同じ目的っぽいぞー!って事になっちゃうんじゃないの?
科学が人に心の安寧をもたらしますか?
残念ながらあなたの希望する科学は、心の安寧をもたらすことはありません。誰でも追証可能な事実しか提示してくれませんから。これを滑稽なことと思うのでしょうか? 曰く、無駄じゃないかと――
あと、科学の本当のお父さんは「哲学」ですよ?
ついでに言うと、出来の悪いお母さんは「錬金術」ですね。

この発言気に入った(笑

# 2007年07月31日 bluesy-k うーむ天文学周りの科学に関してはお母さんは宗教じゃないでしょうか。でもまあお母さんの言うことだから仕方なく聞いてるけど内心しらんぷりみたいな。

誰だったか、「天文学のできの悪い従姉妹は占星術である」なんていう名言を残した人がいましたが。*1
 
天文学占星術の遺産でできてるってのも重要なことでしょう。別にぽっと出の学問じゃなくて、キリスト教とかの誕生以前から綿々と続く知識体系がその礎であるってのはとても重要。
占星術の発生は農耕と関係があります。季節の変化と星の位置が相対するから星の位置が分かれば、種のまく季節が後どのくらいで訪れるのか、収穫はいつごろか? そして、その星の位置のときの天候具合がその後の農作物の影響に関与するから、いわゆる現在の天気の長期予報みたいなことに発展しました。
メソポタミアやエジプトの時代から存在する立派な知識体系ですね。
農耕における収穫は、王権とも結びつきます。つまり、王権神授説ってやつですね。王の力が弱いと農作物の収穫が減るって言う観念に結びつくわけです。
んで、王権とはつまり国家宗教でもあります。これにより、占星術が宗教と結びついたという考え方になるのでしょう。
つまり、天文=天候=農作物=王権=宗教が団子になってつながるんです。

*1:ヨハネス・ケプラーだったかな? 「占星術天文学のできの悪い妹」って言う発言ですね。