基本的に人間は性善説で動いていても、社会は性悪説で動いている。

私のような末端的零細企業の経営をしている人間は、少ない資本を如何に効率的に分配して利益を確保するか? っていう課題は常に身の回りにありまして、社会貢献や弱者救済なんておためごかしを吐く前にですね、まずは身を守って自社が潰れないように細心の注意を払って、冷徹な判断を常に下さねばならないって思っています。自分の会社守る事で精一杯な零細企業に「かわいそう」なんて思うような余裕はないって事だけは確かです。零細企業において1人、2人の穀潰しが居ると会社が傾きます。ので、切り捨てる。10人の社員を守るために1人を切り捨てるなんてのは可哀想って言うような世界じゃ語れない冷徹な世界だと言えます。*1
本音で語ると、経営とか社会ってのは「可哀想」では動いていないって事だけは、理解して欲しいと思う所。お人好しの経営する会社は食い物にされます。私の知っているお人好しの企業は、親会社の請負金額をどんどん先細りにされた上に切り捨てられてました。こわいですねぇー。(←琴子はこれを可哀想とは思っていません、経営トップの戦略ミスであると思っていますたとえ首を括ろうと社会保障と経営戦略とは切り離して考えるべきだからです)
ぶっちゃけると、自分が可哀想な人になっても誰も助けてくれはしないのが世の掟です。社会保障の破綻なんて今に始まった事じゃないです。それでも信じてる人なんてのはオメデテーナと言うよりも脳みそ沸いてないか? というのはマッチョ的な発想なんでしょうかね?
マッチョの思考は「いかに弱者にならないか」を目指すのに対して、ウィンプの思考は「弱者になっても大丈夫なように布石を打つ」ってのを目指すんだろうな。マッチョ的な思考は「弱者になる条件」を見つけてそれを回避するって思考。だから、冷酷にも何でもなれる。
だから、どんだけレスや会話が伸びてもお互いの文化言語が異なってしまうため常に平行線を辿るんじゃないのかなって思ってしまった今回の事案。
ので、これ以上書き連ねても意義は薄いと見て静観する事に決定。

*1:一応、労働基準法なるものがありますので、一方的な解雇(馘首)は会社では非常にリスクがあります。基本的には出来ない方向にありますので、労働契約の非更新とか様々な手段を用いる事になりますが……。