フランスの鋒矢の陣に続いて、

聖火が別ルートを走り出した後も、元ルートの警官隊は動かない。そればかりか、わざわざ配られたヘルメットをかぶり始めた。明らかに「おとり」だった。

まさに孫子的世界ですね!

孫子曰、凡先處戰地、而待敵者佚、後處戰地、而趨戰者勞、故善戰者、致人而不致於人、能使敵人自至者、利之也、能使敵人不得至者、害之也、故敵佚能勞之、飽能饑之、安能動之、

孫子曰わく、
 凡そ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す。故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。能く敵人をして自ら至らしむる者はこれを利すればなり。能く敵人をして至るを得ざらしむる者はこれを害すればなり。故に敵佚すれば能くこれを労し、飽けば能くこれを饑えしめ、安んずれば能くこれを動かす。

出其所不趨、趨其所不意、行千里而不勞者、行於無人之地也、攻而必取者、攻其所不守也、守而必固者、守其所不攻也、故善攻者、敵不知其所守、善守者、敵不知其所攻、微乎微乎、至於無形、神乎神乎、至於無聲、故能爲敵之司命、

 其の必らず趨く所に出で、千里を行いて労れざる者は、無人の地を行けばなり。攻めて必らず取る者は、其の守らざる所を攻むればなり。守りて必らず固き者は、其の攻めざる所を守ればなり。故に善く攻むる者には、敵其の守る所を知らず。善く守る者には、敵其の攻むる所を知らず。微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故に能く敵の司命を為す。

孫子「虚実篇」

次は南米でしたっけ?
そのあとオーストラリアだったかな? あとでルート調べてみよう。

今後の日程まとめたよ

ダルエスサラームタンザニア連合共和国)が次だってさ。

2008年3月24日 オリンピア(採火式) 厳戒態勢が敷かれる中、活動家3人が式典に乱入し妨害行為
国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」が声明を発表。ちなみに、この組織フランスのパリに拠点を置いている。
3月30日 アテネ(引渡し式) 会場のパナティナイコ・スタジアムの外では抗議行動に加わっていた20人が警察と衝突、拘束
ただし、式典自体は滞りなく完了
4月2日 アルマトイカザフスタン カザフスタンは18年に及ぶ大統領の独裁政権のため政治活動は厳しく弾圧されているので(ロシアから独立した国家であるため、親中国政策を実施しているなどの背景もある)、問題はなかった。
4月3日 イスタンブール(トルコ) 6人のウイグル族を拘束。当時は200人規模のウイグル族のデモがあった。
4月5日 サンクトペテルブルグロシア連邦 リレー自体には影響はなかったが、改革派政党の党員1人が英語で「殺人をやめろ」と書かれた横断幕を拡げようとしたところ、建物の警備に当たっていた数十人の警官に拘束され排除された。
4月6日 ロンドン(イギリス) 数人のチベット独立勢力が聖火リレーを妨害。聖火を奪おうとした活動家や、消火器で聖火を消そうとした抗議者が放映された。
4月7日 パリ(フランス) 前代未聞の警備体制にも関わらず、チベット独立勢力が聖火リレーを妨害。一時は聖火を消してくるまでの移動やショートカットなどが行われた。
4月9日 サンフランシスコ(アメリカ合衆国 コースは大幅に短縮・変更されたため、沿道で待っていた人からは不満が高まる。第1走者が数メートル走ったところで倉庫の中に雲隠れ報道でも戸惑いの声が――また、ルートの全面変更という奇策にもかかわらず、妨害を試みる者も……。結局聖火は誰もいない高速道路の高架で突然ストップ、ゴール付近では中国支持派とチベット支持派による乱闘が発生。その後のセレモニーも中止される有様。
4月11日 ブェノスアイレス(アルゼンチン)  
4月13日 ダルエスサラームタンザニア連合共和国  
4月15日 マスカット(オマーン  
4月16日 イスラマバードパキスタン  
4月17日 ニューデリー(インド)  
4月19日 バンコク(タイ)  
4月21日 クアラルンプール(マレーシア)  
4月22日 ジャカルタインドネシア  
4月24日 キャンベラ(オーストラリア)  
4月26日 長野(日本)  
4月27日 ソウル(大韓民国  
4月28日 ピョンヤン朝鮮民主主義人民共和国  
4月30日 ホーチミンベトナム  
5月2日 香港(中華人民共和国特別行政区  
5月3日 マカオ中華人民共和国特別行政区  

カザフスタン以外ではほぼ妨害を受けているのにやる意義って何なんでしょうね?