似非科学批判の批判を考える
もう少し真面目に考えてみる。
定義をしてみる「似非科学批判批判とは、『「似非科学批判者」の科学に対する姿勢について』の批判である。」と置こう。
全てをプラズマで説明する人をあげるまでもなく、頭ごなしに否定することができない人もいるっていうのは重要な要素だね。
ただ、問題点はその批判者も頭ごなしで否定しているから知性が見られないというのが実際には歯牙にもかけられない理由としてあげられるんだと思うんです。
批判批判な人の論拠と論点
- 実証されていないじゃないか!
- 実証はされていないけど現象は出てるじゃないか!
- 大学のサイトから大学教授が批判するな(謎)
無能な批判者の考え(または、突っ込みどころが出てくる反論)
有能な批判者の考え
- 実証以前に、定義をしろ!(ex.よい言葉、悪い言葉の定義をしろ!)
- 現象の定義付けが無いのに現象が出るとはこれ如何に?
- いや、むしろ何でだめなの?
他にも、論点があるね。「科学者は本業やってろ」と「素人がぎゃあぎゃあ騒ぐな」。
さて、脱線してしまったが、さらに脱線。
「有能な似非科学批判批判者というのは、実は似非科学批判者自身ではないか?」というのを思いついた。
証明方法はない非常に非科学的な(!)直観だが。
話をもどそう。
先ほどの定義について考えてみる。