日本の宗教的特色〜なぜにキリスト教が流行らなかったのか〜

ぶっちゃけますと、日本の宗教ってのは日本人でも理解しがたいものを持っています。
歴史的にみても「政教分離」が確立したのが西洋よりももっと昔、安土桃山時代織田信長延暦寺焼き討ち行ったことを起因としているわけです、当時は僧兵と呼ばれる私兵集団が武力を持ってして政治に介入していました。白川法皇などは儘ならぬもの(思い道理にいかないもの)として「加茂川の水、双六の賽、山法師」と歌っています。それだけ、権力を持ってしても思い通りにならないものとして認識されていたわけです。
その牙城を崩したのが織田信長であるわけです。今でこそ、無抵抗の坊さんを何で?と思われる向きがありますが、これは逆です。織田信長が焼き討ちしたから坊主は武器を放棄したわけですね。
当時はすでにキリスト教流入してました。と、言うよりもキリスト教の国が持っている「硝石」を得るためですがね。
硝石って何に使うのかと言いますと、いわゆる「黒色火薬」の原料です。こいつと、硫黄と木炭を適量混ぜることで火薬ができるのです。まだ、硝石の育て方(文字通り育てるってかんじの生成方法です)が分かっていなかったためキリスト教圏の持ち込む硝石は貴重なものでした。殿様どもは、戦争に勝利するために硝石を必要としていたわけですから優遇されていたわけです。
だのに、普及しなかったのはなぜか? 徳川治世の鎖国がだめにしたってのは間違いです。信仰なんてもんは政治とは離れた部分に巣くうものですから、いくら弾圧しても(いや、むしろ弾圧すればするほど信者間の結束は固まる)無理だと思います。
それは、日本の古来からある神道と深いつながりがあるわけです。
日本人古来の宗教観というのは実は今でも根付いています。ビーフカレーと言う矛盾があります、インドでビーフを食べるってのはタブーです。どのくらいタブーかというと、日本人が山奥言って飲んだスープが実は人間のスープってくらいのタブー。
日本の象徴といえる文化は「和歌」と「ビーフカレー」だと思っています。和歌は三十一文字(みそひともじ)と言う制約の中で芸術性を競うもの、この制約の範囲内でという作業が日本人は大好き。折り紙もそうだし、どっかのゲームで丸とか四角とかといった基本図形で様々な絵を描いちゃった日本人とか、米粒に文字書いちゃったりとか、携帯電話小さくしちゃったりとか「制約内でどんだけできるか」ってのに情熱燃やしちゃうお国柄です。もう一つは、ビーフカレーのように絶対に想定付かないものを日本に取り込んだときに変容する具合です。日本人はまんま導入ってのをしない国のようで、日本人になじむように形を変えることが基本となります。この思想は、日本の海外文学を翻訳して販売という路線が基本であり、日本ほど海外の本を翻訳している国って少ないのではないかと思います。
芥川龍之介「神神の微笑」という非常に短い短編小説があります。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html

「しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」

けだし名言と言いますか、(自殺をしたときも枕元に聖書をおいていた*1キリスト者であった芥川龍之介が日本人をどのように考えたのか分かる話です。
遠藤周作も同様のことを作品に書いています。彼は「泥の沼」というような表現をしていましたが。
 
この作り替えるという日本人独特の考えともう一つあげねばならないのが「争いを忌避する」という宗教観があげられます。
柿本人麻呂万葉集に「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」と詠みましたが、言霊思想と相まって「言挙げ」のタブーというのがあります。
これについては、また次回――。「戦争回避と日本人の穢れ思想」で!

*1:当たり前ですが、キリスト教において自殺はタブーですがね……。