何を自己選択の根拠とするか?

暫く静観して、似非科学の周辺を眺めてみたんだけど。
おおよそ三種類の人種に別けられるんだよねー。んで、その三種類の人々って互いに使っている言葉が似ているようでまったく違う言語体系だから。意思疎通が上手くいってないと言うか、互いに聞く耳持たないって感じなんだよね。

愛すべき、チョッカン主義者*1

一つは「チョッカン主義者」まあ、愛すべき人々です。己の直感によって行動してるので、過去の経験とか論理性とか気にしていません。感性によって行動しています。そして世の中の愛すべき市民のほとんどがこれかもしれない。活動母体は子どもを持つ親というかお母さん世代がバックボーンです。小難しいことは大嫌い! 口癖は「なんとく、あっていそう」と言う物。非常に漠然としていて騙すのも簡単! 何となく良さげな単語を並べるだけで(いわゆる感性に訴える言葉?)信じてくれます。

ちょっと不器用、道具主義

もう一つは、「道具主義者」です。英語で言うPragmatismな人々、似非科学も道具として有用なら良いんだよ!って人々、この人達は、さらに二つに別れます。一つは「騙す人」と、もう一つは「騙される人」です。騙す方の理論は簡単「だって、金になるんだよ? 金になるってのは資本主義にとって最善のことジャン!」って理論。似非科学が科学かどうかなんて関係ないんです。お金になるかならないかっていう善悪判断があるんですね。かれらは、お金の道具として似非科学を見ているわけですから非常に有用な似非科学でアレ科学でアレ常に善なのです。
騙される方の人にも道具主義者は居ます。「それで子どもが悪口言わなくなるんなら良いんじゃないの?」って人とか、「健康になったーって気分になるんだから良いんじゃないの? 病は気からって言うし……。」とか、「それで、社会が明るくなるんだったら良いんじゃないの?」って人とか取りあえず、その物事が別な事象の道具としてみている状況の人。ま、ある意味グローバルな視点ってことでは評価できるけど――
工作ばさみで爪切ったり、カッターナイフで料理するような感じでちょっとだけ道具の効率性とか使い方が微妙な子達です。
でも、可愛そうな子とは見ないであげてください。レヴィ=ストロースも言っていました。「プリコラージュ」(有り物素材で工夫する)は素晴らしいことだと!
もっと良い道具を教えてくれる人が少なかったんですよ。

わりかし単純な理論で動く、実証主義

多分、私や、よく見てくれるpooh氏などが陣営とする。便利だからって使っていたら大けがするぞ! って道具主義者にいちゃもん付けている人たち(笑)
だってアブナイジャン? 工作ばさみで爪切ってたら普通止めさせるべ? 爪切り使えや! って、カッターナイフで魚捌いてたら「あほーっ!」ゆうて「包丁使えやお馬鹿!」って言うでしょ?
なんでか? そりゃー、怪我する確立が高いからですよ。
恐らく実証主義者における本当の敵は、直観主義者や経験主義者ではなく「道具主義者」なのです。
実証主義者ってのは割と単純で「アナタと同じ体験が出来れば認めすよ」って事、直観主義者だと私のように空気や感覚読めない子には共有できないけど、実証主義は同じ事が出来て初めて真実となると言うわりかしフェアな立場。んで、その体験がどんな手順でやって、どんな結果が出なかったら真実じゃないですよって言う「体験共有の定義」を言い出しっぺがあらかじめ設定することが重要なのです。

周辺でうようよするその他の主義主張

このへんは、淘汰され始めていると思うんだけどまだまだ生息するのが居るのでメモ。

権威主義
長いものには巻かれろ!って主義。ある意味事なかれ主義が本流。なんとなく、白衣とか白髪とかメガネに弱い、ちょっとフェチズム入った人達。
原理主義
意外と科学関連に取材に来た記者とかライターとかに多い人種。なんか、科学には「絶対に疑いようのない真実」があるんだ!って思いこんでいて不確実なことを言わない科学者に「ハッキリ言ってください!」と言い始める困ったちゃん。なんか、科学と宗教をはき違えちゃってるのよね。宗教には「疑いようのない真実」って概念は存在するけど科学にはそんなのないっす。100%仮説の世界ですから。
虚無主義
権威主義から原理主義になるってのは結構多いパターンでして……。あの先生は間違いは言わない⇒絶対に間違いのない真実だ って並び。んで、納豆でダイエットできないって曝露されちゃうと。何を信じればいいのか解らなくなって、「ああ、世は儚い」とか言い出しちゃう夢見る人々。ここへの転落もわりかし早い事が情報化社会の問題です(大嘘)

私のポジション踏まえて追論

と、まあこんな感じでまとめてみた訳ですが。
一番の問題は、実証主義道具主義の利用する言語の違いってやつです。
道具主義者は「便利だったらよがっぺよ!(何故か栃木弁)」って有用性を基準としているのに対して、実証主義者は「その道具の使い方は合理的じゃないし、実際には不便だろう!」って実際の道具の使い方について突っ込みを入れているわけでして。話しがかみ合わないのは何となくおわかり頂けるかもしれません。
道具主義者も一部の真実を突いてはいるけど決して効率的じゃないです。ただ、実際に使ってみてまあまあそれなりに結果としては満足できるレベルであればおおむねOKとかと言う人々ですから、話しは平行線だし、そのアバウトさ加減でにおいては実証主義には太刀打ちすらできないのかも(笑)

8月10日 追記

直感と直観についての意見が出ました。Thx。
私もこの文面書くときに悩んだのですが、直感だと「いわゆる第六感」がメインな用法ですので避けたかったってのがあります。
方や直観の方は意味論的には「過去の経験をベースとして推論部分を省いた結論」って意味合いで利用でした。
彼らの主張は「いいことばを聞くと心地よい」と言う経験則上の理論を「水に語ると綺麗な結晶になる」まで演繹するので(水伝を例えとすると)、いずれにせよ、過去の経験がバックボーンにあることが重要なのではないかと思います。
なので、折衷案「カタカナ」で書く!
てか、もっと据わりの良い言葉あったら教えテー><

*1:直観か直感かについては追記欄参照のこと