無意識の差別

「物を持つ物は、物を持たざる物の真似をしてはいけない」
これは、正しい倫理か?

ここには恥も倫理も何もない。そもそもそういう概念がまったく頭から抜け落ちてしまった、実に薄ら寒い姿の人間であるということが、ここにつけられたコメントを読むだけでわかってしまう。

中世ヨーロッパでは階級社会といって、各階級が他の階級を知ろうとしてはいけなかった時代がありました。
労働者はパブで飲み、決してサルーンへは足を向けませんでした。
同じく、中産階級は、決してパブへは足を運びませんでした。
 
これと同じ状況を「是」とするのは感覚的に合わないな。
「私は彼らとは違う階層の人間だから知ってはいけない」ってのは現代における倫理的な思考方法だろうか?
私はこの考えに「否」と答える。
 
この構造は、実際に体験した物にも当てはまるだろうし、実際には体験せずとも体験者の手記を読むことで追体験という幻想を持った人間でも等しく当てはまらねばならないだろう。
むしろ、これを「痴」もしくは「恥」と感じるのならば、そこに見えない差別があるのではないかと糾弾せざるを得まい。
自己の階級を絶対な物としているのではないか?
 
文化人類学者が未開の部族と共に生活するのは、差別的だというのであろうか?
これを差別と思うのは、自分の所属している社会が上だと勝手に認識しているのではないか?
自分と違うところで生活する人を知る行為、この行為自体に間違いはない。
 
私はこのような「見えない差別」というのが理知的であっても非理知的な者であっても、存在し得る事に注意すべきだと思う。