似非科学における問題の切り分けが必要だと思う件

教育の現場を考える。
似非科学の問題でなにが問題かというと、子どもに嘘の科学を教え込むと言うことです。
今現在、教育分野に進出している「ゲーム脳」「水伝」いずれも授業の教材として利用されるという所に問題があるのです。
つまり、授業で嘘を教えることを推奨しているという問題。
 
いい年こいた大人が、似非科学を信じようとそこは「自己責任」でしょう。
分別の付いた人間が、何を信じ何を信じないかは「信仰・信条の自由」って事で保護されてしかるべきです。
現状の新興宗教の問題の一つに、子どもにも入信させる事への是非というのが問題として提起されています。つまり、判断の出来ない子どもに親が介入する範囲についての問題です。
似非科学も同じ問題を孕んでいると私は思っています。
 
学校とは「無能が無知に無用を教える現場」という見方は悲観的な見方ですが、現状ではそのような状況ではないでしょうかねぇ?

特に、倫理学を良く理解してない「無知が無知に教える現場」になってるんじゃないかなと不安。
最低限、ジェレミ・ベンサムイマヌエル・カントがそれぞれ唱えた主義とその欠点は答えられるようにして欲しいね!
 
と、TOSSについて調べ物をしていたときに思った感想。