こんな夢を見た

夢十夜なんて小説がありましたっけねぇ……。
今朝久々に明晰夢を見ました。あれは意外と面白いもので、ストーリーを変更したりなどが出来たりとか出来るんですよねぇ。
あと、通常すぐに忘れちゃう内容も結構記憶として保持されるのも特徴でしょうか?
フロイト解釈すると結構エゲツナイ内容になるので詳細は書かないよ〜〜
なんで、フロイトさんはすぐに性的なものになるんだろうねぇ。あのオッサンはエロエロだったか!
 
「猿夢」なんて有名な怪談話がありますね、あれも明晰夢を題材とした恐い話しです。(google:猿夢
多分、この夢を見た人は男性であると思っているのですが(理由は後述)、ああ言う怪談もユングフロイト解釈すると面白いですね。
あの話しのキーワードを取り出してみましょう。

  • 最初に見たのは高校生(または中学3年生)
  • 4年後に見たのは大学生
  • 遊園地の猿の電車に乗っている
  • 最初に男性が惨殺される
  • 次に女性が惨殺される
  • 惨殺に携わるのはいずれも小人
  • 三番目が自分のポジション

取りあえず時季は後回しにして登場した2人と主人公である自分について考えてみましょう。
人間は誰しも複数の人格を持っています。自分の中にいる様々な人格が統合されていわゆる「私」という存在を形作っているんですね、いわば「チーム俺等」なわけですよ。そして、様々な人格の中でも根源的な性質を持っているのがアニマやアニムスと呼ばれる原型とも言える人格です。彼らは深層心理の中でも深いところにいる人格で快楽原理に乗っ取って活動している人格でもあります。普段はこういった原型は奥底で眠っているわけですが、表の人格が疲弊すると登場しやすいらしいですね。
そして、この快楽原理に基づいて鼓動する二人の男女を惨殺するのが複数の小人ですがこれがいわゆる超自我と呼ばれる存在でしょう。超自我というのは「道徳」とも言える存在で、この超自我が肥大化すると本来「私」である人格達が萎縮してしまうという側面もありますが、精神の発達には役にたつ存在でもあるわけです。
まず、アニマの存在は「母親」という存在と密接に関わっており、同じくアニムスも「父親」という存在に強く引っ張られます。
一番最初に見た、時季が中学生から高校生というところから見ても、その時点で持っていた父親や母親という偶像を破壊して、新しい自我を得ると言ういわゆるイニシエーションが必要でした。それを夢という世界で実体験したのが最初の夢ではないでしょうか?
第二次反抗期の終期に出てくる感じだと思います。親という枷を一旦はずして自我を持つ為の個人的なイニシエーションが反抗期だと思っています。自分の中に持っていた父親や母親像を一旦破壊して新しい自分の像を築き上げる必要があったのです。主に成人儀礼のイニシエーションでは死と再生のイメージがついて回るのですが再生については後述します。
そして、二番目に見た大学生の頃の夢は何故か男性が登場せずアニマといえる女性だけが惨殺されるのですが、この人が持っていた女性性と決別して新しい自己を確立するというイニシエーションではないのかと考察します。これに達する原因が一意ではありませんが、大学生ということもあり、女性とお付き合いして今まで持っていた女性像を破壊せねばならなくなったとか、自分が今まで持っていた女性的な部分を破壊せねばならなくなったとか、そういった事情から来ているんだと思います。
他にも、電車が発車するとすぐにトンネルに入ったりとか面白いですね。しかもトンネル内部は紫色とか……。
何となく、夢十夜の三夜目とか思い浮かべますね、頭の方にある文章「 なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ケ窪、右堀田原とある。闇だのに赤い字が明かに見えた。赤い字は井守の腹のような色であった。」これって共通のイメージから来るものですね、堀田とか窪とかいわゆる穴ぼこの事です。イモリという単語も古来は性的なもの*1として存在していたのですよ。この辺りは、トンネルや穴をフロイト的解釈ですと産道と同じ解釈になりますね。つまり、これが再生の象徴。トンネルの内部で一旦死に、夢から覚める=トンネルから抜けるという意味で再生を意味するわけです。
これらの意味でこの怪談は非常に男性的な夢だなーって思った次第――。
もう一つの謎は「お猿の列車」ですね。本来レールとか川という蛇行しているものは「人生」の象徴とも言えます。この、自分の人生は所詮はお猿の列車なんだよって言う暗示かも知れませんね、これは恐い警告です。だから明晰夢として夢見者にメッセージを伝えているのかも知れませんね。
だから、この夢の解釈は超自我からの警告といえます。
自分の人生に対して不安を抱いている「私」が認めたくない事実に「所詮自分の人生はお猿の列車で、ここから抜け出すためには今まで持っていた自我を捨てて新しい自分にならないとダメだぞ」って言う警告なわけですね。
つまり、この怪談は「自己の死と再生」と「人生観への変容を求める」という二つのメタファーが含まれているんだと言えます。
だから、この怪談は実はみんなが持つ夢の一つのパターンなわけです。だから、この怪談を恐いと感じる。
本来、成人式というのは儀式的なものでして、一旦自己を殺して再生するというのが一般的な成人の儀式なわけです。
だから、自己の殺害と産道を意味するトンネルの象徴は興味深い部分といえます。
この怪談は、非常にこの死と再生にマッチした考え方なのです。そう言った意味ではこの夢、一つの通過儀礼なのかも知れませんね。

イニシエーション―儀礼的“越境”をめぐる通文化的研究

イニシエーション―儀礼的“越境”をめぐる通文化的研究

*2

*1:古来よりある惚れ薬の一つで、イモリの雌雄を焼いて粉末にしたもの。思う相手に知らせずに振りかけたり、酒に入れて飲ませたりすると、相手に恋心を起こさせる効果があると言われていました。

*2:あ、そうそう、私は心理学というより通俗心理学っていうのかなフロイトとか錬金術の延長だと思ってますので、解釈とか引用は論理的でも適当言ってるからねっ!