或る悲劇 信仰の自由と不自由性

泣けない悲劇:Chromeplated Rat経由で、
悲喜劇と言いますか、似非科学の信仰という物はそう言うものかと……。

「塩は摂ってないべ」とおっしゃるので食事内容を聞くと「漬物と味噌汁とご飯しかたべていない」とのこと。

とある宗教に於いても医療現場では困ったことになるって聞いたことがあります。
アレですね、日曜日に二人組で来る人たちです。

あれが、信仰上の理由であるのは解っていますよ。
SF読みには聖書ってのは参考資料ですからねぇ。一通り、旧約から新約、あと旧訳続編も込みです。
 
医療という甚だ現実と向き合う現場に於いて、信仰ってのはやっぱり邪魔なのかなと思ったり。
人は何かを信心しなければ生きていけないものだとは思います。
ですが、何事も程度が必要で身を切るような事は避けたいよなと思うわけですが、じゃあ、仏教の即身仏とか、インドの苦行者とかイスラームの過激派とか、信仰することによって起きる不自由ってのも同居しているのではないかなとは思うのです。

日本の仏教にも、特に大乗仏教などにもそう言った行と言う物が存在しているわけで……。

ただ、似非科学の場合は間違った知識を教わった状態*1だから逆洗脳は楽なんじゃないかなぁとは思ったりするわけで……。
たぶん、この辺に罠が潜んでいるのではないかなぁ。
この「楽」そうってのが実は、そうではないのかも知れないな……。

*1:ただ、これは科学の立場から見れば宗教も同じ次元であって