呪術・宗教は科学の現代に必要か?

pooh氏の「Chromeplated Rat」で色々と言及がされている様子。
ちょっと、気になるコメントがあったのでそれについて考えてみたい。
これより前の2つの記事を読んでおくと(わたしが)シヤワセになれるかも?

「呪術」という言葉に普遍的な価値判断を含ませているわけでもないのです。それは社会が何を要請しているかによる。
呪術を基盤として成立する社会では、呪術のほうが大事だと思う。そこには、それなりの体系があって、それなりにきちんと成立しているはずなのね
 
一方で、我々の社会はすでに呪術よりも科学を「基盤」として選択したわけです
実のところ、「説明力」なら科学以外の体系にもあるのだけど、予言力(つまりは再現性)の面を追求すれば、科学に行き着くしかない。科学を選択した社会では、その「再現性」を前提とした意志決定がなされるので、呪術が役立つ余地はあまり多くない。
 
グローバリゼーションは「呪術を基盤として成立する社会」の存在を難しくするので、早晩そういう社会は変わってしまうのだろうと思います。それは特にいいことでも悪いことでもない

なんてことは考えている
by きくち (2007-01-18 10:56)

このコメント「HN:きくち」さんという方のコメントです。上から5件目のコメントですかね。
言いたいことは理解できます。呪術と科学の違いについての言及ですね、ただちょっと科学の方が程度が上だってニュアンスが含まれているのでわたし的には承伏しかねるって感じです。
前回の記事「宗教を科学する。 - 泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々)」で書いたように、科学と宗教(及び呪術)のあり方は宗教学から見ると「聖」と「俗」の関係です。

科学を基盤にしているのは果たして現在だけなのか?

現在において科学を「基盤」としていると言われていますが、人間は古代より「経験的かつ合理的な技術や常識」を基盤にしています。言い換えるなら科学が出る前から「合理性」というのがあったわけで……。例えば農耕民が、その季節にあった作物を作りますし、耕地条件も知悉していた。漁業を営む者が、どの辺りに潮流があるとか、朝と夜とでは風の向きが違うとか、帆の張り方はこうするべきだと言った、理由は不明でも○○すれば○○が発生する。○○するためには○○と●●が必要だ。これらは詰まるところ「再現性」を前提にした知恵だと思います。
それでも、呪術は発生したし廃れなかった。呪術の再現性は低いけれど(雨乞いの呪術の再現性は、雨乞いをしなくても雨が降ってくるのと同じ程度の確率です*1)、呪術という儀式、ひいては宗教儀式は無くなりませんでした。
何故か? 「理由が解らないと言う不安を解消する為」だったと私は考えます。
呪術や儀式の場合は、それを行った後で雨が降らなくても「儀式の手順が悪かった」「真剣にやってない奴が居た」「不浄な人が混ざっていた」等の言い訳でその起こらなかったという現象を説明するわけです。良いベトコンは死んだベトコンだ*2。じゃなくて、正しい呪術となるのは正当な結果が出た物だという形に変換されます。だから、呪術の再現性は実は100%(だから信じるに足る方法として確立した)だったりするわけです。
再現性はあるのにその理由がわからない。そう言った不安を解消するために理由をつけるわけです。現在の科学も同じでしょう。科学では「仮説」と言います。
古代において、未発達な科学では説明できないようなことがたくさんあった、だから宗教や呪術が発達したのではないかと思います。

聖俗の関係を具体的に考える

「俗(科学)」というのは実は実証の世界で、「聖(宗教)」というのが仮説の世界という分け方もそこで出来るのではないかと考えます。
現在まだ破られていない仮説を立てている宗教が生き残っていると言う考えとも言えます。
一番強固な仮説はなにか? そうです「反証可能性を持たない物」です。
科学はホパーさんの功績で、宗教と離別できました。科学界の聖者ですね。
ただ、科学と宗教のどちらもその目的は一緒です。
「理由がわからないという不安を解消すること」
筋道や結論は違いますが、科学も宗教も同じ事を目的にしているのです。

科学と宗教の逆転現象

現在において、科学が優勢になってきているのは錬金術の世界から綿々と受け継がれてきた科学技術が発展して、いままで解らなかったことの理由付けが論理的に正しく実用性が高い、と言う理由が科学を「基盤」として選択して居るのではないでしょうか? つまり、中世ヨーロッパのある地点を期に宗教と科学の逆転が行われたんだと思います。
いままで、解らなかった仮説が新しい仮説で証明されてそれまで宗教だった物が「俗」へと落とされた。これが宗教と科学の逆転現象なのではないかと推測します。
 
科学も先端に行けば行くほど「仮説」の世界となります。だから、科学って実は宗教何じゃないの? なんて言われる所以なのではないでしょうか?

今回のまとめ

宗教が科学では説明できない事の理由を肩代わりしていると言うのが、宗教の立場です。つまり、科学では説明できないような事象を説明する仮説として宗教は存在しているのです。
人間は理由のわからない物や不条理な物については不安を覚えます。わからない物や不条理な物を説明するツールとしての宗教や呪術は決して不要ではないはずです。
宗教をなくす方法は、全ての事象を科学が説明するまでは存在し続ける。
ゆえに、科学に「仮説」がある限り宗教は無くならないでしょう。

次回予告:似非科学が広がる理由

前回までのエントリで「水からの伝言」が、「共感呪術」として機能している事と、「呪術」は科学の異母姉妹ではなく、むしろ宗教の姉妹である事が理解できたかと思います。また、本号で「宗教とは、解らないと言う事からくる不安を解消する装置」である事を論じました。
これらを踏まえた上で似非科学が広がる理由を考えてみたいと思います。

*1:つまりしてもしなくても同じって事です。

*2:良いインディアンは死んだインディアンだけだ(生きているインディアンは悪者だ)が正解