外部記憶領域が増えるのは自然な流れ? または、私がブログをする理由

一番カバンが重かった時季――それは、大学の1年の時ですね。
ハードカバーなテキストが複数冊。そして、ルーズリーフ。
んで、学校にロッカーはないですから毎日お持ち帰り(いや、それは普通の話しなんですが……。辞書とかそーゆのは2冊持ってましたからねぇ。

特に重宝したのが、辞書だと

文庫型の辞書(他に、英和辞書・和英辞書も出てる)てか、未だに現役。文庫本サイズなのに中身は普通の辞書と同じ分量があって便利。
読書していて気になる単語があれば調べてますねぇ。
Netの辞書も良いけどネットの辞書だと前後の文字を見れないのであんま利用しない方針を採っています。

高校生が通学カバンの重量を量ってみたら実に15kgもあったというのだ(もはや登山装備の領域である)。教科書、参考書、ノート類だけにしても12kgあったという。

まあ、何にせよ重くなるわけですが……。
今もう、体力的にも限界域に達していますので、15kgの物体を持てる体じゃないです(笑)
 

少し話が飛んで記憶について

私は結構、記憶力が良いと人から言われます。記憶のメカニズムを知っているからでしょう。
人間の記憶は、外部記憶領域に頼って生きていると思います。
例えば、本を見ても一字一句を覚えてるわけではないです。
本を読んで覚えるって言う流れは、視覚情報→文字情報→意味情報→理解→ラベリング→記憶って流れじゃないかと。
一旦、視覚情報で入ってきた記号を脳内で文字情報に置き換える。それで、一次記憶野に放り投げて(ココがいわゆる短期記憶の状況。意味とか理解の判断をする前に情報を格納する事、当然格納され続ければパンクするので時限的なリフレッシュ機能が付いている。つまり、忘却だ)、咀嚼する(いわゆる理解、逆に理解できないと元データのまま保持しなければ為らないため通常は忘却という形で処理される)。咀嚼された物を海馬だかのどっかにぶち込んで、別の部分にはラベルを貼る。ラベルというよりはリンク情報を保持する感じ?
この辺がいわゆる中期記憶だね。中期なんて言うから結構情報が持つのかというとそうでもない。通常9時間くらいで減衰する。もっと長いスパンで覚えるならばさらに一旦減衰しかけた物に再度アクセスすることで中期記憶のデータを強化する必要がある。
海馬の領域も有限なので、何度もアクセスするのは効率が悪い。だから何度も使うデータについてはHDDに突っ込んでアドレスだけ保持しておけばよい。人間の脳みそのHDDに当たるのは側頭葉なので、そこにデータをぶち込む。これが長期記憶の出来上がりってわけだ。
先ほど何回もアクセスする必要があると言ったけど。研究では2回以上の反復で記憶されるという。
あと、一次記憶(いわゆる短期記憶)は、ほぼ7秒前後らしい。そして、その短期記憶から中期記憶にデータが移行するトリガは、理解と一次記憶に掛けた時間に比例するらしい。
理解はどのように行われるか? 入ってきた情報が既に持っている情報に置き換えられリンクされることを理解という。Webでいうスタンドアロンなページは検索サイトからも引っかからないのと同じだ。脳みそは、Webと同じように各情報がハイパーリンクを複雑に形成し、新しい情報が入ればそことリンクを結ぶ事が必須となるのである。
逆に古い思い出が思い出せないときは、そのリンクが切れていたり劣化していて他のリンクからアクセスしないと思い出せないのも説明できます。
いかに、リンクを増やすのかが記憶をするためのテクニックに為るわけです。
√2=1.41421356(ヒトヨヒトヨニヒトミゴロ)
なんて、語呂を付けて覚えなかっただろうか? 実際には非常に有効な記憶方式である。単純な数値の並びを覚えるよりもその他の意味に置き換えて覚えるというのはリンクを増やす事になるからである。
はてなの場合、キーワードリンクというのがある。同じ事を言うのにも別な言い方も併記する事で、キーワードリンクが増えるわけだ。
リンクを増やすという単純な作業がアクセスの利便性と記憶の保持に非常に役にたつわけである。
もう一つは情報の量だ、短くコンパクトにするというのは保存に関しても理にかなっているわけです。例えば、一本の木を思い浮かべて見よう。一番最初に思い浮かぶのは全体の輪郭から始るのではないだろうか? 特に視覚情報には著しい情報圧縮がされているので、解りやすいと思う。我々がWebで画像を圧縮した情報で扱うのと同じだ。脳の方はもっと情報圧縮(劣化)が凄くて、形と色と動きはは全くの別物として扱っているらしい、実際にAchromatopsiaという症状では形と動きを認識しても色が認識されていない場合などがある。
 
実際問題として記憶を上手に行う方法は次の通りだ。

  1. 一次記憶から効率よく中期記憶にするために3秒以上の時間を掛けて覚える。
    1. その間に理解しながら覚える手順が必要
    2. リンクを増やすために、別の覚え方を考案する。
  2. 中期記憶から長期記憶へするために時間を空けてから再度記銘する。
    1. 1時間以上9時間以内の範囲で反復する。
    2. 反復回数は2回以上
  3. 長期記憶でもリンクが劣化すると思い出せない
    1. リンクの強化をするために連想的なところから思い出す。A-B間のリンクが切れかけていたらA-C-B間のリンク経路を使う(用は連想方式)
    2. 記憶の底の情報をサルベージするには複数のリンク経路を予め造っておく。

The テスト必勝法!

上記の方法で一番役にたつ技術は、実は「一夜漬け」だったりする。
睡眠というのは、脳内の記憶の整理も行われると言うことが解ってきている。
一番良いテストに打ち勝つ学習方法は、例えば3教科だった場合、前日の夕方当たりから1教科1時間ずつ教科書のテスト範囲とノートを時間を掛けて読む。別に書いたりする必要性はないです。各必要性があるのは時間を掛けて覚えるための手段なので、意識的にゆっくり覚えよう(理解しよう)とすれば各必要はありません。1回で理解できなかった部分はパラグラフ(段落)単位で再度読み直すとよいです。ココでの目的は中期記憶として如何にたくさんの量を覚え込ませるかです。短期記憶で忘却されないように重要な部分から覚えると良いかも。
んで、3教科なので3時間が経過したら食事&入浴などの時間に割きます。
1時間くらい割いたら、初めにやった科目を再度読み直します(ココが中期記憶を活性化させる部分です)消えかけた中期記憶は再度呼び出されることで、記憶を強化し中期記憶を手放すまでのリミット9時間の幅を少し超えます。通常、中期記憶は最大1ヶ月は保持できる程度には強化できます。
んで、睡眠を取ります。ココ重要!テストに出るよぉ!
何で、重要なのかというと睡眠をすることで直線的に入ってきた情報を整理統合させるんですね。
夢はその情報のデフラグの時に見る記憶の残滓とも言えます。人間の記憶方法は上記の通り連想配列型ですから、Aのことを経験しても別のBと言う象徴と強いリンクを形成して保持するなんてことがありますから。夢にはBの内容が出てきたりする事はままあります。この辺はユングの原型とかでも言説されてるかな。
この、記憶情報のデフラグレム睡眠の時に行われると言われています。このレム睡眠はサイクル期間があって個人差があるのですが5〜7時間程度取れればOKです。取りあえずテスト期間なので5時間寝ました。早朝です。てか、冬場はまだ夜明けじゃないかもな6時起きです。
準備して学校へ行くのにまだ1時間半以上あります。そこで、最後の記憶の呼出。上手に寝てるときに整理された物も寝てるときにはリンクが上手く張れてなかったりするので再度、テキストを読み直します。これも中期記憶が切れないようにするための内容ですから「あぁ、こんなことかいてあった」的な乗りでOKです。
実際に学校に着いたら、出来れば他人のノートを見る。これが、別の形のリンクを張る方法として有効。リンクの数を増やすのが記憶のメカニズムでも非常に有効な手段でした。ようは、見方を変えた視点で(この場合他人の取ったメモ)もう一度同じ内容を見直すことです。
友人になくて寂しい人はもう一度テキスト見ましょう。これで試験を受ければ結構な特典取れます。(記憶型の教育の場合)
ただ、数学なんかの場合は毛色が違ってパターン認識がテストに打ち勝つ記憶術に為ります。
加減乗除に問題なければ、如何にパターン化させるかがキモになると思います。私は、問題と解き方が続きで書いてあるテキストで記憶していました。パターン認識を得るにはサンプル数は多いに越したことはないです。
 

メタ記憶

もう一つ気になることにメタ記憶というのがある。
メタ記憶とは、記憶したことを覚えている。と言うこと。
例えば、「地学上関東地方に分類される都道府県を上げよ」なんて言う問題は、関東地方に住んでいる私にとっては酷く身近な事なのですらすらと上げることが出来る。
ちょっと離れた地域、例えば「中部地方都道府県を全て挙げよ」なんて問題は、「あー、、、うーーーーっ」って感じで酷く思い出さないといけない。でも、少し思い浮かべれば挙げることが出来る。
さらに「中国地方の……」なんて言われたときはココまで出かかっているのに。とヒントが欲しくなる段階。
九州地方の都道府県なんて、ヒントもらっても答えられるかどうか……。
逆に、まったく持って知らない事は予め知らないと答えられる。
例えば「茨城県の市区町村を全て挙げよ」なんて問題がでたら。「知らない」と即答できる。
この辺の閾値というか、記憶領域のどこかに格納されているはずだと答えられる記憶をメタ記憶と呼ぶのである。

ブログの意味

社会人になって記憶している重要性というのはだいぶ薄れている。
学生と社会人を区別する方法はあんちょこが許されることかもしれない。
(と、言ってもあんちょこもって仕事するような人は信用しませんがね)
むしろ、即答よりも正確な情報が必要な事が非常に多いと思う。
社会人にとって必要な技術は「何処に何が記録されているか」を記憶している技術だと言い換えることも可能だ。
全ての知識を脳内にため込むよりも何処に何が入っているかを覚えておく方が効率的である。
外部記憶領域へのアクセス方法の記憶(ハイパーメタ記憶とでも呼ぼう)。
ブログなんかは、方々に散在する知識から自分が必要な知識をアトランダムに入れておくことで後々、必要なときに必要な情報を取り出せることが出来ればいいのです。つまりアクセス方法の最適化、若しくはアクセス方法を省略することによるコスト削減が私のブログの使い方だと思う。
つまり、ブログというのは自分の脳の拡張パックと言うことではないだろうか?
私がはてなで公開している理由は、どんな場所でもネットさせ繋げる環境があれば、自分に必要な情報を取り出すことが出来る。
むしろ、ココに書かれている情報の全ては公開用というよりは、自分に向けての記憶の草稿である。
じゃあ、何でプライベートじゃないのさって話しが出てくると思われるが、理由は簡単、何処でも入れるようにしたいからである。ログインなんて面倒だからさ。
友人から
「何でブログを書くの?」
「私には別に書きたいことがないからなぁ……。」
と、良く言われるが、私の場合は何かを主張したいのではなく効率的な記憶領域の確保をしたいだけであると言う価値観に基づいてBlogが使われているのです。