昨日の炎上論から出てきた新しい定義
id:OguraHideo 氏からの投稿で幾つか面白い炎上の仕方を知ったので、分類してみようとおもったのです。
まず、コメントの付き方に2つの特徴がありましたね。
持論を展開するコメントと、相手を罵倒するコメントと落書きの三種類に大きく大別されます。
持論を展開する人にも、細別できるのですが、非常に論理的な三段論法や背理法を駆使する人は良いのですが、論理をすり替える人と、相手の無知の部分を指摘して本論以外の部分で討論する人、そもそもの論理の前提が証明されていない事を挙げる人などが見られました。
ただ、惜しむらくかな日本人はこういう討論が苦手な人が多いようです。
私、一度日本人の学生による英語ディベートの討論会を見学したことがあるのですが、まさにあのひどさを思い出したって感じですね(あなたは●●というのがあることを知らないだから負けだ。とか平気であるんです!)。
それでも、自分は論理的に説明しようという気概は感じるので持論を展開する人と分類します。
これらの人が見た目多いと思えば炎上(判断は完全に主観に基づきますね)
逆に、相手の罵倒が多ければイナゴって分類をします。
んじゃ、落書きはイナゴのフンって事で(笑)
OguraHideo 氏の言論の立ち位置が若干不透明な感じをコメントでは受けましたが、私の受けた感想では
- 「炎上」は記事の内容にかかわらず発生する可能性を秘めている
- 「炎上」したコメントにはわがままな主張しかない
- 匿名による安逸な状況下でそのわがままは発生する
の3点を主張したいのだと認識しています。
と、ココまで書いてOguraHideo 氏って
小倉秀夫とは - はてなキーワード
この人だったのか!(←ローマじ見て気付け自分)
と気付いた次第――
相手の氏素性とか知らないでも反駁や論理展開はできる良い結果だと思いました。
やっぱり、情報の本質は名前じゃなくてその中にある本文だと思いますよ?
所で、はてなのコメントってなりすましできたっけ?
いそいそと、なりすましは出来ない事が解ったので続きを書きます。
上記の主張に対して私は次のような主張をしています。
- 「炎上」及び「イナゴ」は全て記事の内容に寄るもので、記事の内容に寄ってのみ発生する可能性を秘めている。
- そして、その多くは非論理的である。
- 論理の対は非論理で感情の対は理性である。
- 全てのコメントは記入者の主体によって書かれる。よって受け手からは「わがまま」と観察される事象も発生する。
- 全てのコメントは狭量な受け手によって「我儘」認定される。
- だって、我儘だって認識する主体は記入者じゃないもの
- わがままは受け手の感情である以上、匿名、実名、黒木ルール問わず「わがまま」な発言は発生する
- 情報の本質は名前ではなく内容である以上、受け手にとって我儘だと受け取れる内容は発生する。
- わがままな言説をしている人なんて、匿名掲示板だけじゃなくてブログ見てればゴロゴロ居ますしね(私を含めて(笑))TVのコメンテータも我儘の極致だったりするときがありますよ。
- だって、我儘だって認識する主体は「私」ですもの。
と、言う主張です。
主張がぶつかるからってどっちが正しいとかは無いと思いますので、平行線でしょう(笑)
あるとすればどちらが合理性があるかだと思います。
Webの本質は弁護士の本質に似ています。
曰く「自由であり、権力や物質に左右されてはならない。」
そして、名前とは権力の象徴でもあります。
例えば、「あの! 小倉秀夫も読んでいる「泣き言メイン〜琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々〜」というブログ」って記事紹介文に書けば一部の人は集まりますもの(まさに外道)
それ故、Webに置いては実名を斯様にも嫌うのでしょうね……。
炎上とかに一家言ある人らしいので
氏の主張を調べてみる。アンチが存在する程度には有名な人らしい。
氏の用語定義メモ
コメントスクラムとは「低レベルの批判や非難、くだらない揚げ足取り、ブログ主やブログ主を擁護しようとするコメンテーターを困らせまたは消耗させることを目的とした質問等が延々と繰り返されること」という定義を見つけました。
来たコメントに優劣を付けて間引きするのは、匿名発言以上に卑怯
この定義って、主観に基づいていて計量区分が無いのが問題。
コメントを受け付ける装置を組み込んでいる以上、全ての言論はオープンであるべきです。
いやなら、はずせばいい。
けど、来たコメントに優劣を付けて間引きするのは、匿名発言以上に卑怯です。
私はそんな卑怯者にはなりたくないのでね。
こんなとき、ハートマン軍曹ならこう言うでしょう。
「俺は厳しいが公平だ! 差別は許さん、低レベルの批判や非難、くだらない揚げ足取り、ブログ主やブログ主を擁護しようとするコメンテーターを困らせまたは消耗させることを目的とした質問を、俺は見下さん! 全て――平等に価値がない!」と(笑)
価値がないと思えばコメントを返さなければ良いと思います。
他者の書き込みが自由なように、コメントの返信の選択も自由であるべき。
もし荒れたらどう対処するかなと考えてみる
もし、自分のブログが荒れたなら、記事にこの文章を追加してみよう。
○月○日 □時□分追記――
「俺は厳しいが公平だ! 差別は許さん、低レベルの批判や非難、くだらない揚げ足取り、俺や俺を擁護しようとする気の良い奴らを困らせまたは消耗させることを目的とした質問を、俺は見下さん! 全て――平等に価値がない!」
君等の書き込みが自由なように、私の書き込みも自由だ! 私が気になるコメントには返信をしよう。興味が湧けば新しい記事になるやもしれん!
君等の書き込みの自由をこのブログの命運に書けて保障しよう! 喜べ! ここは法の許す範囲で自由だ!
だが、これだけは警告しておこう。
君等が嫌いな物のために他人を拒否(ゼロサム/オール・オア・ナッシング)することは、君等を孤立させ、君等の信頼を失墜させるだけだ。
改めて言おう、私は君等の意見を否定しても、君等を拒否しない!
さらに荒れるだろうな(笑)
むしろ、確信的に炎上するための燃料を追加してる感じだ。
この、微妙に見下した感じがさらに効果を倍増しそう〜♪
あ、上記文章も自由に改変してお使い下さい。ケチなことは言わないぜぃ!