ICタグ、獣の刻印、キリスト史観

「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」(ヨハネによる黙示録13章16-18節)

高木氏の所を見て触発――。
高木浩光@自宅の日記 - 欧米のプライバシー観はキリスト教的宗教観に基づくもの?


私はキリスト教徒では無いですが、海外SF小説を読むに当たって聖書はサブテキストな部分も多く、新旧その他(詩編〜マラキ書)まで一通り読んでみました。
その中でも異彩を放つのが新約聖書の最後に入っている黙示録というのがあります。信者ヨハネという人が見た夢を書いているという話しですが、旧約聖書の創世記と対応して終焉の書という位置付けがされているようです。
基本的に象徴的な寓話が多く、何故新約聖書の正典に載っているのか不思議な内容です。
同じ様に、ダニエル書という預言に関する文書が旧約諸書にあるのですが、それとも趣を異にしています。
MMRっぽい話しになりがち(つまり、眉唾な話し・与太話の類)です。
新約聖書しか読んでない人には非常に複雑怪奇でおどろおどろしい文章ではあるのですが、旧約聖書(及び諸書)を読んでいると大体、寓意的な物は対応可能だと思います。

高木氏が上げている記事はどちらかというとアメリカのキリスト教原理主義に多く見られる解釈で、黙示録を預言書(予言ではない)としてみている解釈方法です。
一般的には、(幻想)文学の類として読まれています。


でも、「この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった」ってあたりの行にはドキリとさせる物があるね(まあ、そう言うのがメタファーを用いた預言書の基本パターンですからね)。

日本のプライバシー

日本におけるプライバシーの考え方はひどく甘っちょろいと言うか、想像に結びつかない部分はあると思います。
欧米では既に問題となっている現象も、日本ではあまり見られないと言う高木氏の考察通りだと思います。
旧来からある「そっとしてもらいたい権利」とでも言うのでしょうか、マスコミなどにたかられないようにするプライバシーの考え方はだいぶ定着しているのでは無いかと思うのですが、最近のNet普及や技術進歩にともない。
自己情報コントロール権と言う新たな権利概念が浮上していると思います。
住民基本台帳法(いわゆる住基ネットですね)についても11条では

第11条 何人でも、市町村長に対し、当該市町村が備える住民基本台帳のうち第7条第1号から第3号まで及び第7号に掲げる事項(同号に掲げる事項については、住所とする。以下この項において同じ。)に係る部分の写し(第6条第3項の規定により磁気ディスクをもつて住民票を調製することにより住民基本台帳を作成している市町村にあつては、当該住民基本台帳に記録されている事項のうち第7条第1号から第3号まで及び第7号に掲げる事項を記載した書類。以下この条及び第50条において「住民基本台帳の一部の写し」という。)の閲覧を請求することができる。

と書いてあるように、氏名、誕生日、年齢、住居転入日などの情報が手にはいるわけですよ。「何人でも」というのが一番の問題点なわけですが……。実際にコレにより問題が発生しているところもあります。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060815-00000008-ryu-oki
実際に問題が無いわけではなく隠蔽されているのが現状なのかも?
どちらかというと問題と膿は顕在化させた方が健康的だとは思います。
一部の人だけが知っていれば良い情報という範疇は超えていると思うんだけどな〜。