コメントを頂いたので私信を

今北産業

多様性による複数の価値観の共存がSFのSFたる所以です。
現状、ラノベの精神に「ダークな側面」を見いだせない、勧善懲悪が正義と見る部分が多いのも実情です。
そのため、片手落ちとなったラノベに若年層のSFファンの創生が出来ないのではないでしょうか?

本編

id:shinp 氏からレスに値する興味深いコメントを頂いたので、

純SFが今マイノリティーの地位を確立してしまったのはSFがSFたらんとするSF原理主義者がSF要素を持つ作品全てにSF度を独自に判定して、ある一定以上の基準を満たしていないと「これはSFではない」といったある種排斥行動をとり続けたからだと訊いております。

まさにその通りです。本格推理小説が一部の本格ファンによって「これは推理小説ではない」という排斥運動を取ったことで現在衰退しているのと同じ構図です(歴史は繰り返されるとも言う)。
排斥は良くない! あの唾棄すべき原理主義者は市場の安定とはかけ離れた理想論者の別名でもあるのです。


物事の多様性と多角性によってセンス・オブ・ワンダーが出来上がるというSFの根源意味を認知できない無知蒙昧の輩が「SFをマイノリティーポジションへと押しやった」戦犯なのです。


センス・オブ・ワンダーは日本語にするとなかなか難しい概念です。
私は、「自己の意識の変容こそセンス・オブ・ワンダーである」と考えています。
ピーター・ニコルズの『SFエンサイクロペディア』から借りれば「センス・オブ・ワンダー」とは「新しい展望の中に人類が位置付けられ、ものごとの枠組みが読者に把握される」などを支持しています。
言い換えれば物事の見方をパラダイム・シフトさせることまたは新しい認知の地平の獲得によって得られる感動、あるいは興奮させることをセンス・オブ・ワンダーだと思っています。


物事を見方をパラダイムシフトさせる一つの手法として、当該記事に書かれているような。世の中をダークな側面から見たものを描くというのも立派なセンス・オブ・ワンダーだと言うことで。


このブログにセンス・オブ・ワンダーが付されているのも、「世の中の出来事から多角的に分析して新しい認知の地平を獲得しようとあがく状況を記録しよう」という願望が付されているからです。


例えば、火星に移植した人々について記そうとすれば、
その原理原則、テラフォーミングはどのように行われたか、重力の問題は? 政治機構は? 空気・植生・人種は?
そう言ったものにもいちいち説明を要求するのがSF原理主義者です。それらの説明があることで満足して読書を勧められるというスタンスなのです。そこには疑問を残さない完全に物語が閉じていると言うのが彼らの願望でもあるのです。
原理主義者の要求に私は異を唱えるつもりはありません。そう言う読書の仕方もあるのだと認識しているわけです。
SF原理主義者はある種の本格ミステリーファンに似ているところがあります。
火星に人が住むというミステリーが与えられそれに対して全ての説明を要求する。まさに、違いは人死にかどうかの違いだけです。


説明されないでも、そう言う原理が働いているのでは無いか? とかウラではこういう歴史があったんじゃないか? と想像を巡らせて読むのがSFの読み方だと思います。(逆に、そう言った原理を汎化した原理として暗黙の了解で済ませているSF作家達の手抜きもSF衰退への一因かも知れませんが……。)
そう言った意味では、原理原則を己の知識から呼び出すことが出来るのは、むしろ大人達であると思います。


少し脱線しました。
そもそも、物事の見方をパラダイム・シフトさせると言う種類の小説はSFでもファンタジーでもあるわけです。
その種類はライトノベルとて同じです。
ただ、作者の書き方が既に暗黙知で説明を省いている部分が多すぎるのが最近の特徴だと思います。説明を省くことで、新規参入者がSFの不思議が解かれないまま、不思議は不思議としておいていかれるため、若年層のSFファンが居ないという構図になっているのだと思います。(ワンダーがあってもセンスが磨かれない状況。私流にはパラダイムシフトが出来ない状況とも言えます)


あ、勘違いしないでいただきたいのが「最近の風潮は良くない」とか言ってるわけでは無いと言うこと


商業として、キャラクターを立たせる。魅力的なキャラクターだけで商売するというライトノベルが悪という見方はしていないです。魅力的なキャラクターでかつセンス・オブ・ワンダーライトノベルも知っていますし。もちろん漫画もです。
SFがこなれてきて暗黙知の領域が増えてしまったため、勢いキャラクターで売らざるを得ないと言う状況なのでしょう。


ただ、

SFは何もSFを齧った大人たちのためにあるものではありません。まだ不思議を感じることの出来る子供たちは沢山いるはずです。その為のライトノベルだと思いますし、そうでないとライトノベルの中のSFが可哀想です。
ともかく、そもそもSFファン向けにライトノベルは作られていないんじゃないですかね?
若年層のSFファンなんぞもう死滅した生き物でしょうし。

ライトノベルがSFファン向けに書かれているというのは、反論したいと思います。


ライトノベルはありとあらゆる読書ジャンルの入門書であって貰いたいと思っています。
ライトノベルの購入対象が10代をターゲットにしているのは、
「君たちが読んだ本と同じジャンルのものが世の中にはまだまだたくさんあるよ」って教えるための装置であって欲しいと言う願いです。


ファンタジー小説を読んだ子どもが、「トールキン」の世界があることを知り、トールキンに影響を与えた「金枝篇」を読んで、昔の信仰された神が妖精となって生きていると言う話しから、日本の柳田国男を知り『遠野物語』や『蝸牛考』、はたまた『桃太郎の誕生』などから民俗学を覚え、その弟子の折口信夫を見たり、柳田国男の『海上の道』から文化や神話の伝播を受けてヴラジミール・プロップへ移り「昔話の形態学」から記号論理学を知り、大家と言われるヴィトゲンシュタインとかを読むと言った。そのための入り口として機能して貰いたいのが、大人の視点で見たライトノベルのあり方だと思います。
非常に願望的ですがね……。


ただ、そのためには、新しい認知の地平を獲得する楽しみが少ない本が多いと思わざるを得ないのも事実。。。
(だからこそ、新規の若年層SFファンの獲得に失敗していると見ています)


なので、私がラノベについて思っていることは
もう少し、頑張って欲しいなってのが建て前。
悔しかったらキャラ萌え以外のおもしろさ出せや!!てのが本音です。

追記
ラノベのターゲット層が人格形成過程とされる10代をターゲットにしている以上、世界が汚い。ダークで野蛮で、救いが無いって事を書くことが出来ないのは、ラノベ全体が抱える弱点だと思います。
ラノベ筒井康隆的な「信仰性遅感症」や「村井長庵」や「ポルノ惑星のサルモネラ人間」が出せないのも致し方ないのです。むしろ、そう言うのを出すようなラノベの出版社は何かをはき違えていますし、買ってはいけない部類になるのです。