愛国なるもの

方々で論議が出ている「愛国心」なる幻想について語ってみる。
私の「愛国心」の定義は言葉にするとこんな感じか?

あい‐こく【愛国】《名》
自分と生まれ育った国や郷土の歴史が綿々と繋がっていると感じ、それを美しいと思うこと

何となく辞書っぽくなった。
右翼も左翼も過去の歴史に対して断絶を持ってるから不毛な論争になるんだと思う。
なんで近現代ばかり俎上に載せるのか、日本が正しいとか間違ってるでぐちゃぐちゃ騒ぐのか、理解に苦しむ。
明治以前は日本じゃなかったのか? 大戦前は日本じゃないのか? 「もはや戦後ではない」と経済白書が書いた1956年以降を言うのか?


そんなはずはない、古く万葉の時代、さらには神代の時代から連綿と息づく、人々の息吹、豊饒たる自然を感じ、それら過去からの片鱗が今も日本に受け継がれている。そう言った悠久たる繋がりを感じ取る感性を愛国心と言い換えるのであり、近現代などその歴史の矮小たる部分でしかない。
歴史の流れにおいて、正しい・間違っているなどと言う。個人にしか判別し得ない瑣末な価値判断を超越した次元のものだと思う。


古き万葉の句である

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は*1(万葉1-2)舒明天皇

に、共感を覚え、美しいと感じる。そう言った感性を育てることこそが愛国心をはぐくむ教育なのでは無かろうか?


夜の高層ビルから眼下を眺めて、家々の光に感動を覚えたり、帰りの電車で住宅街の家々の明かりからそこに生活があるんだと感じること。
そう言ったささいな事に美しさを感じ「美し国」を知覚する。
そう言うのを愛国心って言うんじゃないでしょうか?


と言う、右寄りな文章を書いてみるテスト(うん、右寄りな文章も自分かけるんだね!)

*1:大和にはたくさんの山があるが、特に良い天の香具山に登って、国を見渡せば、国の原には煙があちこちで立ち上っているし、海には、鴎(かまめ)が飛び交っている。本当に良い国だ、蜻蛉島(あきづしま)の大和の国は。
「海原(うなはら)」は、海ではなくて、池や湖の広々とした水域を言うとの説もあり
蜻蛉島(あきづしま)」は日本の意「大和(やまと)」に掛かる枕詞