少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず ってか?

コンピュータ(そう言えば久しくコンピュータなんて入力してないな)の世界を例えるとドッグイヤーって言うそうで……。
するってーと、なにかい?
この世界は、52.17日で1年ってこったね。
この世界の換算でおおよそ3年から4年ほど前、Web2.0成る物が業界の名物になっていた。今更ながらだが、Web2.0の意味を良くわかってない。
コンピュータ業界で名物になるって言うと「Ajax」とか「CMS」とか「Blog」とか「RSS」と言った。具体的な実装に関わるものが名物だった。
Buzzwordとして成り立つ物は具体的であればあるほどバズワードとして認知されていくと思っていたんです。
Web2.0なるものは、実装から一番遠い種類の物ですから、私の中では信じがたい物だったのを記憶しています。


改めてWeb2.0の意味について考えると、そこには対極となる物が浮かび上がる。
それは何か?


そう、「ディープリンク」や「無断リンク禁止」と言う野蛮人の悪習だ。


Web2.0はこの野蛮人の悪習に対する技術陣の逆ギレ的支配なんだと思う。
大体、フレームやFLASHによるエントランスページという悪習自体、掛け違えたボタンのような誤解の一種ですから、時間が経てば解消される取るに足らない物だと思っていました。

補足(フレームとエントランスページ)
ディープリンク問題はフレームのあるWebページでのみ<a>タグでtarget要素で指定しなければな成らなかったと言う問題が主因。無断リンクは、(せっかく作った自分のサイトのテーマを表現した)FLASHページを最初に表示してみて貰いたいというある種の自己顕示欲とデザインの問題だと思っています。


だが、しかしながら世の中はそう言った野蛮な縄文以前の人種が跳梁跋扈していたりするわけですよ。
そう言った連中が石斧や、黒曜石のヤジリの槍なんかを持って襲いかかってモヒカン族がそれに対抗するため、ハンドアックス片手に応戦に出てる……という構図。
モヒカン族の倫理基準は「みんなが幸福になれるか?」だと思っています。幸福の指針が「合理性・妥当性・他者容認」の三本柱なのは注目に値します。
問題は縄文以前の野蛮人も幸福を是としています。
問題が、幸福への指針が「自己幸福の追求」って所が軋轢と成ってるわけで……。
特に、情報共有に対する考え方が特徴的――モヒカン族は「オープンソース」でみんなで間違いや不便なところを直した仕組みを作ってその派生物で売り上げを上げよう。と言うオープンソースに近い人種。それに対し、縄文以前の野蛮人はと言うと「ソフト販売」な感じ、「Google」と「Microsoft」陣営の対立に非常に似た構図を持っていると思う。
いずれにせよ、この問題も後数年で片が付くんじゃないかな?
と、考えているオプティミストは私だ――


Web2.0は確かにみらいを指し示している。10年前のCSSのようにだ――あと、数年もすれば営利企業は積極的に導入するようになるだろう。だが、現状起業の腰は重い。技術陣は素早い動きを期待するが、縄文以前の野蛮人には理解できない概念に立ち止まってしまう。そこで技術陣はあきれながら後ろを振り返り彼らに、こうつぶやくのだ「Web2.0」と。


それは、技術陣のいらだちなのだろうか? それとも安保闘争のように何かの闘争の名前なのだろうか? しかしながら技術陣の勝利は既に確定している。CSSのようにだ――


また、こうともも言えるだろう――
技術陣の勝利は既に確定している。だが、それは決して華々しいものでは無いだろう。10年前のCSSのようにだ――


コンピュータの世界は時間の流れが速い。
そう、まるで犬の年齢と同じようにだ。
だが、世界がコンピュータの世界と同期を取るのにはまだまだ時間がかかる。
2038年1月19日3時14分8秒*1までに世界がどう動くか注目していたい。