夏なので怪談話でも……。
ノック、と言うのがあるでしょう?
トイレとか玄関とかで“コンコン”ってやる、あのノックね。
私は実際に目にしない物は信じないたちででね。幽霊なんて言うのは信じない物の例えになりそうなくらいなんだけど……。
ただ、このことを思い出す度に霊的な存在っていうのは、あるのかもしれないな――って思うのよ。
幽霊や妖怪、っていうのは……。んー、これは違うんだっけかな?
まあ、取りあえずそう言う物は人との繋がりを捜しているんだってさ。
神社でかしわ手打ったり、鈴ならしたり、仏壇とかで“チーン”ってやるのも、一種の呼びかけって奴でね……。
それでね、その人との繋がりって言うのはね、この世とあの世をつなげる、ほんのちょっとした行為なんだよ?
ほら、良く怪談話にもあるでしょ?
襖をほんのちょっとだけ開けっ放しにすると、幽霊が覗く、って話しとかさ、襖だけじゃない窓の外に出る鬼女とか、井戸から出てくる白い手とかさ、普通にありそうな穴とか隙間が、向こうの世界との繋がりを作っちゃうとかね……。
私の知人のある人に言われた事って言うのがあってね、その人も不思議な人でね普通の人には見えないモノが見えちゃう人なんだけどさ、第六感が良いって言うのかな?
クルマで出かけてもね、「あ。そこの交差点気をつけてね」とか言うと十中八九、クルマがパッと出てきたり、お年寄りがよろよろ出てきたりしていつもスゴいなって思うんだけど。
その人が言うのにはね、『人がいないと解っているところで、絶対にノックをしてはいけない』って事なんだ。
ノックって言うのは、中に人がいるか居ないかを確認するためでしょ?
つまり、返事が返ってくることを待つ、っていう行為なんだって。
ドアを隔てて、見えない向こう側とこっちで繋がりを求めるって行為でしょ?
これが、誰か居るかもしれない、っていう――そう言う確認なら良いんだけどね。
自分以外家に誰も居ないって解っていたり、閉店後のお店とか、もう引っ越して誰も居ないことを知ってる家とか……。
誰も居ない、って解っているのに、ノックをするっていうのは絶対にやっちゃいけない、っていうんだよ。
つまりね、
自分しか居ない家で、トイレのドアをノックする。自分しか居ない家で隣の部屋をノックする。こういうのは「中に誰かがいる」というのを、暗に願ってる状態なんだ。
だから、もし、誰も居ない、って解っているのにノックしてしまう、っていうのはね。霊とかあの世のモノを呼び出す行為って言って、絶対に忌むべきものなんだって。
ただ、それを言われてもね、私は「なんだ」としか思えなかったんだ。たかがノックぐらいで何をビクビク、なんて思っちゃってね。
あるとき、私しか居ない家で、片っ端からドアをノックしたんだ。“コンコン”ってね……。
キッチンに入るための扉で“コンコン”……。居間に入るドアでコンコン……寝室のドアでコンコン……、子ども部屋、トイレ、果てはお風呂のドアまでノックして回ったんだ。
結局何もなくてね、まあ、良くある迷信だなって思ったんだ……。その時は……。
その後ね、少し思うところがあって、外に出たんだ。
ふざけ半分で、玄関をノックしたんだ。
中には絶対に誰も居ないし、出れるなら誰か出てみろ、って思ってね。
“コンコン”ってね、結構強めにね……。
そうしたら、遠くから「コン……コン……」って聞こえてくるんだよね。
本当に、背筋がぞっとしたよ。
無人の我が家からノックの返事が返ってくるんだ。
ドアを開けるのが怖かった――。
私は、何かを呼び出しちゃったんじゃ無いかって。
ノックに返事をするために、あの世から何か呼んでは行けないモノを呼び出しちゃったんじゃないかって、思ったんだよね……。
中に入って、恐る恐る家の中を見回ったけど、幸い何もなくてね。
今でこそ、あの返事は空耳だ、とか木の軋みだ、って思えるけどあの時は、ノックの返事だ、って確かに思ってたよ。
だから、ノックって言うのはそうそう安易にして良いもんじゃない。
もちろん、純粋に人の有無を問うのならいい。
ただ、何かを呼び出す行為だ、って事は心にとどめておいた方がいいかもしれないね。
それは、つまり、居ないところに誰かを呼び出す行為になるんだから……。
「あぎょうさん さぎょうご 如何に?」