18禁はなぜ18歳未満禁止なのか

美少女アダルトアニメ撲滅署名:乾いた善意は地獄に通ず - kitanoのアレより参照。
自称児童人権団体のカスパルなどが参加するPCI連合(Protect Childrens Innocence)は、「幼児及び幼児を連想させるキャラクターを、むやみに裸にしたり、性的対象として扱うマンガ・アニメーション・ゲームなどの製造販売を禁止するための法制化」のための署名運動を展開されていますが、過日提出されたPCI連合による「美少女アダルトサイトアニメ雑誌及び、美少女アダルトアニメシュミレーションゲームの製造販売の中止」を求める申し入れ書が関係サイトで公開されているようです。

→参照:http://www2u.biglobe.ne.jp/~caspar/kinkymoshiire.htm

この活動は、人間の基本的権利である表現の自由を規制しようというものではありません。
子どもを性の対象として扱うということは、それが例え空想の世界であっても、やってはいけないタブーなのです。
そのごく当たり前の常識を社会的に守っていこうというのが、この行動の基本的理念です。

前の文章と後ろの2文が二律背反をしているのが特徴的です。
いわゆる、支離滅裂な文章として判断できるかと思います。
http://note3.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=GZJ03116&n=16300
上記リンク先にカスパル闘士らしき人のサイトのリンクがあるが読んでて嫌悪感を持ってしまう。文章が高圧的なのが原因なのか? それとも違う次元に住んでる人だからか?(笑)
言っている意味はわかりますよ?日本人だし日本語読めるし・・・。
でも、理解と共感は無理っぽいな。。。。まだ気持ちが若いからかな?w
id:kitano さんの言によると「ここには真の意味での他者への共感がありません。自分の主観への共感を他者に一方的に求めることは「共感」ではない。本当の共感は、自分とは異なる他者を受けとめることです。」と言っておられるけど、まあ日記なんだし本来日記の機能としては自分の感情を吐露する部分であり、わざわざ共感を得ようとしてないだけではないのかな?
Blogと違って情報発信というより言いたいことのはけ口としての使い方をしているのではないかと予想します。
あー、でもねぇ。。。
CD-ROMをコピーして貰ったって表現は既に犯罪ですからねw
規制云々より著作権法違反ですからぁ……。
堂々とかいちゃーいけませんよ♪

個人的雑感を少々――

精神的な影響が多大な少年期に見せる事への是非は、否定的な意見です。子どものうちに正しい性について知ることは奨励すべきでしょう。ただし、ほとんどの創作物が物語を作る上で過剰な誇張した物を作るのは物語の基本的なあり方として致し方ないはずです。また、その物語の作り手としては「性」に対して間違った書き方をしているという意識があって作っています(いるはずです)。正しい事を知らないうちに、最初に間違った物を見てしまうと言うのは、とても危ないことだと思います。最初に見た物ほど印象が強く残るためです。
「性」について正しく理解していて、「この物語は間違ったことも書かれている」というのが解る人なら見ても構わないと思います。しかし、作り手としては「受け手が「性」について正しいことを知っているかどうか」の判断するすべがありません。そのため、ある程度物事の善悪が判断できる一般的な年齢に安全値を加えた18歳という年齢基準を設けているわけです。
逆に言うと18歳までに正しい性のあり方について知っておかないとこの物語は見てはイケませんと言うことですね。
大人でも間違ったことを信じている人がいるほど、性というのは難しい問題だと思います。逆に言うと判断基準の18歳というのはあくまで目安であると言う考えを主張することも出来るわけです。
18歳を過ぎても物事の善悪、正しい物の見方が出来ない人はやはり規制の対象になるでしょうし。18歳以前でも正しい物の見方が出来る人は見ても良いのではないでしょうか?
あるのは建て前だけだと思います。結局「18歳未満云々」という話しは、世間からの非難を逸らしておこうと言うものでしょう。正月飾りと一緒の役割を持っているだけだと言えます。しかしながら、通常18歳より前にそう言った見方が形成されている人がほとんどだと思いますし、18禁の18歳という設定は間違ったものではないと思います。


作品で書かれていること、またその行為は作り手も肯定しているわけではないでしょう。あくまで娯楽作品であり空想上で楽しむためにあるのだと思います。
当然ながら、現実と空想はまったく別の次元に存在すると思います。大人には、この二つを混同せずにハッキリと区別した上で、一人の社会人としてそれぞれ楽しむ権利と義務が発生するわけです。
物語(作品)が犯罪のきっかけになっても原因にはなり得ないと言うことです。物語の内容に刺激された者が女性や子どもに手を掛けたとしましょう。ですが、そのような精神的に問題のある人たちは、何にでもきっかけにしてしまうはずです。具体的な内容を提示しなくてもそれこそ「猛獣が他の生物を補食する」といった写真を見ていてもそこから妄想や連想をして、犯罪のきっかけにする場合もあるはずです。
そのような社会的に不適合な極々少数の人間のために、作り手の自由を制限されなければならないのか果たして疑問になります。
物語を目にして興奮したからと言って、犯罪行為に走るという者の責任まで見る必要が到底あるとは言えないでしょう。
そういった物語を認めなくてもそれは一向に構わないものだと思います。それこそ個人の自由です。
ただ、自分が気に入らないからと存在を否定・阻止することが、どれほど恐ろしい結果になったか、我々はナチズム、焚書と言った形で、過去の歴史から学んでいるはずです。
“自由に生きる権利”があるのは、他人に対しても“自由に生きる権利”を認めて居るというのが自由権の根拠です。