視点と論点

面白い視点からの発言で「こういう見方をする人も居るんだな」って素直に感心した。

 あまり言いたくないけど、というかまた上から目線とかいわれたり頓珍漢な誹謗中傷受けるからやなんだけど、数千PVもあるようなブログのエントリに、「死ね」とか、知らない人の個人メールアドレスものがコメントで公開されるんですよ、ほっておくと。 エロリンクだけならいいけど、踏むな危険みたいのとかもあるし(いちおう直リンクできないようにしてるけど)。

ただ、ぶっちゃけると「臭いものに蓋をしたい!」って事なんだと思った。
私は「得られる情報ならノイズも含めて全て見たい!」って思っているから、相容れない思想だと思うんだけど。
「私の知りたくない情報や私の見たくない発言は(たとえ、他人のサイトでも)見たくない!」って思想だと受け取ったわけですが。
なんか、ここまで堂々と主張されるとたとえ相容れない思想であっても格好いいなって思います。
 
琴子はロマンが足りないので、私の取り巻く世界が繊細で綺麗なものなって幻想は小学校の時分から捨て去っています。
「全ての人が、「死ね」とか「くたばれ」とかといった言葉を使わない世界」といったお花畑的な世界は、ビッグブラザー*1の居る世界か、医療技術が発達し、事故死が起きても、人間の分子配列が完全に再現できる様な、人間の寿命が無くなって死の概念が無くなった世界、くらいだろうと想定しています。いわば、SFの世界だったら可能じゃないかって思いますけど、実現化は無理でしょう。
極端な話、「犯罪がない世界」ってのは「刑法の無い世界」だって言うくらいの愚かさが無いと無理なんじゃないかな?
 
臭いものに蓋をして、見えなくしちゃうのも精神の安定にはよいことだろうと思います。そこは、否定しませんし、見えなくするための努力というのは必要でしょう。ただ、それを無いものとして排除する事を手段としちゃうのはどうなのかな?
世の中、目を覆いたくなるような汚い情報ってのは多々ありますし、それを排除するのは人類まるごと消し去った方が早いんじゃないかって位のエネルギーが必要でしょう。
 
私が見たくない情報はあらかじめ覆い隠されているべきだ! という主張だと、私のように見たい情報見たくない情報の選択権は個々人に委ねられるべきで、情報はあらかじめ可能な限り覆い隠すことなく提示されているべきと言う主張を持った人と共存する事は出来ないでしょうね。
そういう人と折り合い付けるには、finalventさんは「ギッズGoo」使うと良いよ!

*1:小説「1984年」