笑ひといふ物

私はいわゆるバラエティー番組が苦手です。
弟は好きみたいで、よく見ているようです。
何故、私がバラエティー番組が苦手なのか?
人に言うときは、「何処で笑って良いのか解らない」と答えてます。
いや、でもまさに「何処が面白いの?」って感情はかなりあります。

桂枝雀師匠の「緊張と緩和」

笑いという物を考える上でどうしてもはずせない人がいます。
桂枝雀師匠ですかね、
「緊張後の緩和」
などという理論が提示されました。一見意味不明の謎が提示され、それが緊張を生み、また、解決されることで「なるほど」と言う緩和が出てくる。そこに笑いが生まれると言う理論。
古くからある理論で、桂枝雀師匠だけの理論では実際には無かったりします。

笑いと演出

もう一つは、演劇理論での笑いというのがあります。
笑劇(ファルス)の帝王と呼ばれる。レイクーニーという劇作家がいる。
英語の台本を日本語訳にしてさらに上手くジョークもちりばめた翻訳家の作業も凄いとおもうが、代表作として誉れ高い「ラン・フォー・ユア・ワイフ」と言う作品がある。
もう一つは、これからのクリスマス時期に多く上演される「パパ・アイ・ラブ・ユー」という作品。
台本があって、演出家があって、複数の劇団が公演をやる素材というのは笑いを考える上で一つの実験材料になると思う。
レイクーニー作品を良く扱う所が「加藤健一事務所」とか(ここの「パパ・I・Love・You!」は良品)他にも数所あるのですが、先述の「Run for your Wife」は演出家の出来不出来で面白さがかなり増減するので見ていて興味深い。
 
私が「面白い/おかしい」と感じるときのパターンがある。
世の中の常識というか世界観というか、ある一定の枠組み。構図からほんの少しずれた位置に存在する考えや動作というのにベクトルが与えられている。
 
こういう構図(schema「スキーマ/シェーマ」)のずれを私は面白いと感じるのでしょう。

ベルクリンから考える

ところで、ベルグソン(アンリ・ベルクソン? Henri Bergson)と言う人について語ります。
この人は、フランス人なのに哲学者の一面を持っているという不思議な作家です。
1927年にノーベル文学賞を受賞して、1900年に「Le rire」*1を書いた人です。
彼の笑いの構造としては「人間性」「非共感」「社会性」がキーポイントになっています。
非人間的な物質におかしみを感じるのはそこに人間性を見るからである。と言うのが人間性のポイントです。そして、人間を笑うときはそこに見られる非人間的な部分を笑うと言う構図。つまり、物体にあってはおかしい人間性という価値観のずれを人は笑うのです。
「ある帽子がおかしいとしたら、そこに人間的な何かを感じ取ったときに人は笑う」つまり、自己の常識という範囲で想定できなかった部分を「おかしい」と感じる。そこにはそのおかしさに人間性という価値観が見いだせるのではないかと語っているわけです。
逆に言うと、そう言う帽子も存在し得ると言う価値観を持ってる人にはそこにおかしさを見いだせないと言う結果になるのでは無いでしょうか?
逆に、人間の行動が可笑しいと思うときは、そこに非人間性を認めるときにあるわけです。
それもまた、非人間的な行動も自己の常識の範囲内に収まっているのであれば別におかしさは感じないのではないでしょうか?
非共感の理論は、自分を当事者に置き換えて考えると笑えなくなると言う理論に似てます。バナナで滑って転んだ人を滑稽に見るが、自分が当事者なら笑うことが出来ないと言った理論だと思います。
この理論を展開し始めると、笑いという物の本質がゆがめられて、「他者を考えない人物ほど笑ってしまう。だからお笑いブームというのは想像力の欠如した人間が増えた結果だ」なんて言う朝日バリの名言が生まれそう。
そして、社会性とは社会からはずれた者を笑うことで、社会に対して自由に振る舞った者への復讐として機能すると言う理論。

笑いは何よりも先ず矯正である。
屈辱を与るように出来ている笑いは、
笑いの的となる人間に辛い思いをさせなければ為らない

に、還元できるように社会から外れた行動を取った人に対して笑う事で相手に屈辱を与え矯正させようとする動きを指しているのでしょう。
笑いに対する優越感というはこれに準じているのではないでしょうか?

もう少し考える

さて、もう少し考察を進めていきましょう。
笑いとは構図のずれである。と言う理論がありました。
自らが持っているスキーマ(シェーマ)からずれた物を笑うと言う基本構造です。
外部スキーマ、内部スキーマ、概念スキーマと3つのスキーマがあります*2
人間性」「非共感」「社会性」をそれぞれ当てはめるのならば、
 

(お笑い) 
↓↑
人間性」外部スキーマ
↓↑
「社会性」概念スキーマ(対象世界)
↓↑ 
「非共感」内部スキーマ
↓↑
(バラエティ)
が成り立つのでは無いでしょうか?   むかし、桂枝雀師匠と中島らもが笑いについて議論をしたそうです。 中島らもの笑いに対する見方はニヒルな感じで「笑い=差別」論、対する桂枝雀師匠は「緊張後の緩和」という理論でしょう。 桂枝雀師匠は人間性という価値観からみて少しずれていることに対する緊張そして、理解して緩和したときに生まれる笑いどちらかというと「人間性」主体の笑いを本質と見ていたようです。 対する中島らもは「非共感」側の理論における弱者への嘲笑という笑いを本質と見ているようです。

*1:邦題『笑い』

*2:DBMS論での切り口