ああ、スタンスの違いがわかったよ

コメント欄も荒れたら荒れたで其れなりに風流だと思っている人間と、その辺のワビサビを介さない人がいるって事よ!


荒れるというのは言論封鎖じゃないと思うんですが、むしろクレームに近い存在。
 
ネットのクレームだけじゃないです。リアルだって同じです。
もし、自分の会社で不具合な商品だして社会的な問題起こしたときにうちの広報部がクレームの電話に出ないなんて真似はしませんし、させません。
それが、自分の商品に対する責任と言うものでしょう。
たとえ、相手のいい方が品位に欠けようと何だろうとそれ相応の対応をしなければ、別なところに問題が噴出するだけでしょう。
「俺の名前なんてどうでも良い!」とか
「貴女の会社の商品について私の名前や住所とはまったく関係ないことでしょう!」
言われることもあるのではないでしょうか? だからといって、彼ら彼女らの意見を悉く無視するのは愚策としか言いようがありません。
クレーム処理のクレームの内容が外部の人にも見える状態になってるだけで違いはないです。
 
また、クレーム自体は自社の製品に寄らず相手の勘違いだってあるでしょう(ex.半熟男の例など)。
そこで、それ相応の対応が出来た会社は強い会社になるのだと思います。
相手の意見を真摯に受け止める。例え罵詈雑言であっても、そして受け止めた上で対応する。

Webの生き方とリアルの生き方にまったく差は無いのでは無いでしょうか?
だって、結局は人同士の関係になるのですから。

商品が悪くてクレーム来たのを「クレマーが悪い!」って内部の人が言うのは可笑しいでしょう?
つまり、そう言うことです。
金銭の発生が無いから勘違いしやすいですが、Blogの記事は情報であり商品です。
無料で配った商品に不具合があっても、ヤッパリクレームは受けるべきでしょう?

つまり、炎上を受けた人が取るべき行動は常に、紳士たれ!と言うことだと思います。

まとめ

大体以上で、数日間におけるブログの炎上に関する原因・過程・結果について言論出来たかな。
上の原因は、記事の非論理性にあること。
そして過程は、読者の自己中心性(いい方悪ければ、読んだ読者のフラストレーション)によって発生→記者の対応の不備(または、記者の自己中心性)によって悪化
最後の結果は、生き残るブログとそうでないブログに別れる。
また、補足して言うと炎上とネットイナゴは別物であるという事。
炎上は論理(又は見せかけの論理)が比較的散見するもの(大体コメント総数の10%以上位の閾値があれば炎上って言ってもいいかも?)
イナゴは感情が主体、炎上とは違い論理コメントがほぼ皆無に見えるもの。

ネットイナゴの開発者(謎)ekken氏がイナゴってーのはそんなんじゃねーとかあれば、別の名前にするので別の命名考えてみようかな*1……。
 
今回は論理主体の炎上について考えてみました。
ちなみに感情主体のイナゴについては、こちらで言及してる。
対人レーザー・老人マスコミ・カウンタ・空気 - 泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々)
ほぼほぼ真逆な意見に見えるかも知れないが、自浄能力の無い方が実は記事の作成者だったらそいつが悪い!理論で構成されているから。
突っ込まれる前に書いておくね

*1:てか、命名権を譲渡するので夜露死苦な感じ