私信含みの雑記

生活

日常における生活は、肉体をメンテナンスするためのルーティンワークです。
本当に大切な物は日常の外にあるものだと思います。

勉強

学校の勉強が役にたたない。なんてことが言われる。
当たり前だ、肉体のメンテナンスである以上、動物的な本能とか欲求を満たす日常に学校の勉強など役にたつわけがない。
本来の勉強が役にたつ時というのは、日常生活に離れたところで役にたつのだ。

代替の神

18世紀の終わりに神は死んだ。
それでも人は何かにすがらないと生きることは困難だ。
だから、代替の神は生まれた。それは、「哲学」であったり「国家」であったり、「経済」であったり「恋愛」だったりした。
だが、所詮は代替である。寿命は本来の神に遠く及ばない。
それぞれ、代替の神の寿命は異なったが、いまも残っている幻想は経済・科学・恋愛であろう。
経済・科学がさらに進歩することで「恋愛」という名の付いた神は早々にして死ぬことであろう。

日本人の限界

エロゲには、ルートと言う概念がある。
キャラクタの名前を冠して○○ルートやら△△ルートという呼ばれ方だ。
ルートが発生する為には分岐点となる物が必要で、ある程度の分岐を通り過ぎパラメタが一定値を取ると「フラグが立つ」事になり、ルートが確定する。
古き良き時代の、ルートの発生は「ルートのためにあるルート」ではなくて「選択の楽しさ」や「ゲームとしての自由性」の確保のため行われていたが(EX.同級生シリーズ等)、いまや形骸化していて、(いわゆるフタマタの禁止を含めた)一夫一婦制の踏襲のためにあるゲームがほとんどだ。
何でハーレムエンドは駄目なんだろう?
友人曰く「日本人の男は一夫多妻を想像すると、生活に関わる費用を算出してしまう。」と言うことらしい。
なんとも、夢のない話しか……。

作品

「良い作品」というのと、「メッセージが正しい」というのは等価ではない。
むしろ、フィクションである以上何処かを強調したマスコミにすら出来ない情報操作が入る余地がある。
鑑賞者は常に念頭に置いて作品を見つめなければならない。

ポリシー

ノンポリが流行ったのって1980年代後半くらいまでだと思う。
特に1995年以降のインターネットの爆発的普及によって、情報は過多になり。
自我を守るためにもポリシーは必要になったんだと思う。

もっとシャープに

虚構と現実

マジックリアリズムは便利だ。

虚構と現実2

ファンタジーとメルヒェンの違い程度。
リアリティに重きを置けばファンタジー、寓意に重きを置けばメルヒェン。

そういえば

風船おじさん乗ってた気球ってファンタジー号だったっけ?

5000元で

上海で盛り上がる、“本物の”メイドさん人気生活の欧風化でフィリピン人メイドの需要急拡大
5000元=70K円(1元=14円換算)ですね。
7万円で身の回りの雑事から解放されるなら真剣に悩む男性も多いのでは? ヘタに結婚して全て嫁に搾取されるなら、性事情はともかくリーズナブルで合理的だと思う。
問題点は、日本の物価が高いため70K円では無理と言うところでしょう。

光市母子殺害

光市母子殺害についての言説は持たない。
ネット&マスコミは「とっとと吊るせ」の大合唱については恐怖を覚える。
ネットくらい別の視点からものを言ってみるべきでは?
言論の自由とは多様性の容認にあると思う。