私がSF好きな理由
本編
人類皆平等、性善説。愛。戦争反対。まごころ。
先人を敬おう! 不幸な人に愛の手を!
こういうもの全てが嘘であり、それを嘘と認めたところから文学がはじまるわけです。
人間は差別に生きていて、嘘をつかねば生きていけず、悪いことばかり考える。肉欲に生きて、戦争・闘争・競争は大好き(平和運動は戦争への第一段階だ!)。
裏切りこそが繁栄への階梯で、邪魔する老害はとっとと道を譲って欲しい!
不幸な奴と対比して自分がシヤワセだと思って喜ぶのです。
これらのグロで正視に耐えない真実を、いまやSFというジャンルしか文学として描こうとしない、否! 描けないのです。
自らがそうした虚偽の中に取り込まれてしまっているその他の文学とは、相容れないものなのです。
いまや、下等や下劣といったレッテルを貼られているSFと言うジャンル。酔狂にして過激で世の真実に対して真摯に描き続けることの可能な文学はもはやSFにしか存在し得ないのです。
諸君 私はSFが好きだ
諸君 私はSFが大好きだ
サイバーパンクSFが好きだ
スペースオペラSFが好きだ
スチームパンクSFが好きだ
どたばたSFが好きだ
コメディーSFが好きだ
ブラックユーモアSFが好きだ
スラップスティックSFが好きだ
デカダンスなSFが好きだ
近未来SFが好きだ
リビングで 寝室で
トイレで お風呂で
電車で バスで
海上で 空中で
喫茶店で プールサイドでこの地上で読めるありとあらゆるSF小説が大好きだ
陳列棚にならんだ、ハヤカワの新刊がPOPと共に、角川や新潮の陳列を押しやる姿が好きだ
古本屋の入り口に1冊30円で売られた日に焼けたジョーダンシリーズをバラ買いするときなどは心が躍る
J・P・ホーガンの厚み28mmを超える本を読破するのが好きだ
悲鳴を上げて燃えさかるような財政状況で、財布から諭吉をだしてキャプテン・フューチャー全集を買った時など胸がすくような気持ちだった
黒い背表紙で揃えた筒井康隆全集が本棚の一列を圧迫するのが好きだ
恐慌状態で新刊が本棚の手前に何冊も何冊も積まれている様など感動すら覚える
本格主義の作家達を片っ端から読んでいく様などはもうたまらない
身体が眠いと叫びを上げるなか深夜まで読んでそれでもなお翌朝鞄に数冊の本を持って行くのも最高だ
哀れな再販未定の本達を古本屋で健気に探し回ってきたのを、一冊100円でブックオフのSFコーナーで売られているのを発見した時など絶頂すら覚える
活字文化の衰退で無茶苦茶に狭いスペースに置かれるのが好きだ
必死に探し回ったあげく、奥の電灯の届かない薄暗い所で発見する様はとてもとても悲しいものだ
ライトノベルの物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ
店員を追いまわし害虫の様に「その本は注文になります」と吐き捨てられるのは屈辱の極みだ
諸君 私はSFをダークでブラックの様なSFを望んでいる
諸君 私に付き従う活字中毒の同友諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なるSFを望むか?
情け容赦のない糞の様なSFを望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な物語を望むか?
よろしい ならばSFだ
我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ
だがこの暗い闇の底で半世紀もの間堪え続けてきた我々にただのSFではもはや足りない!!
本格SFを!!
一心不乱の本格SFを!!
我らはわずかに千人に満たぬ読書界隈の敗残兵に過ぎない
だが諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している
ならば我らは諸君と私で総力100万と1人の読書集団となる
我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ思い出させよう
連中に読書の味わいを思い出させてやる
連中に我々のページをめくる音を思い出させてやる
天と地のはざまには奴らの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる
一千人のSF信仰者の集団で
世界を燃やし尽くしてやる元ネタはgoogle:諸君、私は戦争が好きだあたりを参考に
と、アジテーションしてみるテスト
だから、自分はラノベを読まなくなったのかも……。
ラノベの世界にあるのは、SFとはテイストは一緒でも目指している向きが真逆だと肌で感じるんだろうな。
大前提で世界は美しく綺麗だなんて言うラノベの世界では自分は生きられないと感じたんだろうと思う。
世の中を真摯に書いている。筒井康隆、山田風太郎、澁澤龍彦、マルキ・ド・サド、ボードレール、ロバート・シェクリイ、ロバート・シェクリイ、J・P・ホーガンなんて言うのがやはり好きなんだろうな……。