意訳:Googleよりも情報操作してやったマスコミを信じろ!

ディベートのネタとしては面白い。
論題:「グーグルは信じるに値するか?」


まず、マスコミを信じるべきだ(Google否定側)という側に立った論だと
メッセージ
この論の構成は次のような流れで進んでいる。

1.Googleの基本的技術の確認→「集合知」→現状のSEO対策による弊害
2.(事実誤認の情報が上位になる現象←第一次情報を取得して精査する人が皆無なのが原因)⇒全体の関心が上位に上がるGoogleでは対応しきれない技術的不備
3.上記2(の様な不備が改善されない限り)→情報全体の質は上がらない(→だからマスコミを信じろ)

肯定側論駁

まず、否定側の構成した論の弱点を見つける――

  1. 「それはグーグルだけでなくネット、ブログ全般の問題だ。校閲機関がなく、真偽不明の情報や誤情報であっても削除、訂正のしようがない」
  2. ブログの大半は論評で、ライター以外で直接1次情報を取材している人は、私の知る限り1人しかいない。
  3. 「みんなが見る情報は良い情報」というグーグルの常識では、多くの人が関心を持てば事実であるかどうかにかかわらず、検索結果の上位に表示されるようにもなり、うわさが真実であるかのようにネットを席巻することもあり得る。
  4. 検索で表示された結果には、個人の主観だけで書かれた日記と、複数の目で精査された学術論文や報道機関の記事が同列に置かれている。
  5. 少数の人が30年も40年も辛気臭いことやり続けて、ほんの少し進歩するものだと思う

が攻めどころだと思う。

詭弁を弄する

ブログの大半は論評で、ライター以外で直接1次情報を取材している人は、私の知る限り1人しかいない。

ブログをマスコミに変換しても成り立つ。「毎日新聞の大半は論評で、事件記者以外で直接一次情報を取得している人は私が知る限りでは皆無、さらに付け加えるなら番記者制度の弊害で言われたことをそのまま記事にする始末。」

「みんなが見る情報は良い情報」というグーグルの常識では、多くの人が関心を持てば事実であるかどうかにかかわらず、検索結果の上位に表示されるようにもなり、うわさが真実であるかのようにネットを席巻することもあり得る。

同じくマスコミに変換しても成り立つ。


「マスコミが出す情報は良い情報」というマスコミの常識では、記者が関心を持てば事実であるかどうかにかかわらず、新聞に表示されるようにもなり、その記事があたかも真実であるかのように世論を席巻することもあり得る。

検索で表示された結果には、個人の主観だけで書かれた日記と、複数の目で精査された学術論文や報道機関の記事が同列に置かれている。

ちょっと変換して……。

新聞に印刷された記事には、記者の主観だけで書かれた日記と見まごうべき記事や社説と、事実だけを羅列した文章が同じ紙面に並列されていて、どこからが事実でどこからか記者の主観なのか判別するスキルを問われている。

少数の人が30年も40年も辛気臭いことやり続けて、ほんの少し進歩するものだと思う

多数の人がたった数年で、非常に進化したLinuxのようなオープンソースの存在を無視している。数もある側面では威力になる事実を見ていない。



この詭弁の問題点は、グーグルの問題性を突いてないところだ(ディベートのルールではニューアーギュメント(New argument)と言って非難される行為でもある。*1)……。

正しい反駁

正しい反駁点として、現在あげられている問題点の多くは現在のGoogleの使っている技術の問題点を挙げているに過ぎないと言うことです。
ここから切り崩しましょう。
ディベートでは、相手の論理の穴を見つけるところから始めます。
特に、論構成の2番目当たりは崩しやすそうです。
つまり、ここ

(事実誤認の情報が上位になる現象←第一次情報を取得して精査する人が皆無なのが原因)⇒全体の関心が上位に上がるGoogleでは対応しきれない技術的不備

議論展開としてはこんな感じ、

全ての上位に来た情報が事実誤認というわけでない(閲覧者側の精査を問われる所は認めたうえでの譲歩)。実際に、新聞よりもBlogなどの方が事実をすっぱ抜いた経緯もあり。全てが事実誤認という印象を与えるのは根拠としておかしい。

相手の主張である根拠部分を攻めて弱体化させるわけです。
そして、論拠を補強していた各論についてさらに攻撃を加える。
まず、弱点としてメモした1を攻めよう。

「それはグーグルだけでなくネット、ブログ全般の問題だ。校閲機関がなく、真偽不明の情報や誤情報であっても削除、訂正のしようがない」
グーグルとブログを一緒のものとして考えていることに間違いがある。グーグルはブログの文章も企業の文章も、新聞社などが提供した情報もおしなべて並列で取り扱っている。新聞社の情報が正しいからと言って上位に持って行くというのは、現状のSEO対策による弊害(論述展開1の原因)と同じ構図を呼び起こし、ひいては、昔のYahooなどのようにいらない役にたたない情報ばかりが上位について不便になる。その結果、情報の優位性に破綻を来す。

これで、論点が曖昧だったグーグルとブログを切り離すことで論題をグーグルに注目させることが出来る。
そして、返す刀で

ブログの大半は論評で、ライター以外で直接1次情報を取材している人は、私の知る限り1人しかいない。
と言う理論も1人しか居ないという数値の妥当性は認めづらい。なぜなら、「電凸」と呼ばれる一次情報を直接電話などの方法で取得しているサイトは様々なところに散在しており、彼らがライターであるという事はない、また、ライターとそれ以外を区分する方法はブログでは認知できないので、論理展開としてライターとそれ以外に分けるというのは破綻している。

と、切りブロガー全てが情報を取得していないという論点を突いて、瓦解させる。


次からはなかなか難しい……。

「みんなが見る情報は良い情報」というグーグルの常識では、多くの人が関心を持てば事実であるかどうかにかかわらず、検索結果の上位に表示されるようにもなり、うわさが真実であるかのようにネットを席巻することもあり得る。
うわさが真実の様に席巻することは認めるが、検索結果の上位が全てうわさではなく実際に「良い情報」として扱われている。そのため、グーグルはTOP企業にのし上がったのだから、良い情報として表示された結果の一部がうわさに過ぎない。と言うだけで、あたかも全ての情報がうわさと思われるような表現は過剰だ
検索で表示された結果には、個人の主観だけで書かれた日記と、複数の目で精査された学術論文や報道機関の記事が同列に置かれている。
情報の優越は権威によって行われるべきでない。なぜなら、全ての権威が正しいと主張することは出来ないからだ。そう言った意味では全ての情報を公平に扱うという点においてGoogleは優れている。


と、論駁するのが妥当か?

*1:ただ、議論の技術として非常に不離な体勢から並行論に持って行く技法としては有効