現実と仮想現実の境界

http://www.hatena.ne.jp/1119881393

※「ゲーム」が意味するものは、MMOをはじめとする技術的に可能であろう擬似世界です。
※「価値」「感覚」「コミュニケーション」「リアリティ」「制限」等のキーワードを含んでいるとよりよいです。

出題者のゲームの範囲とは「MMO」などの技術的に可能な擬似世界を指して言ってるようなのでゲームという語感は語弊を招きかねない、今回は、「仮想現実」と「現実」という意味合いで私の考えを述べておきます。
言うまでもなく、MMORPGリネージュ2というゲームをしている「私」と言う現実がある以上、現実に仮想現実は内包される。記号論的に言うと、「現実⊃仮想現実」と言う式になるでしょう。
ヴァーチャルの世界での目標は「如何に現実に即した世界を設定するか?」が大きな目標値になるのだと思います。そのなかで、ゲームと言うのは「現実世界とはちょっとずれた世界観を構築することができるか?」に焦点が置かれるのだと思います。つまり、ゲームと言う存在が仮想と現実のギャップを埋める働きを持ったシステムではないでしょうか?


もうひとつの立脚点は、「観察者の立脚点」にあるのではないでしょうか?
たとえば、私のやっているMMOゲーム、リネージュ2では、PK(プレイヤキラー)と言う概念が存在します。つまり、ゲームの中で登場するプログラムとしてのNPC(Mob)とは違って、実際にパソコンの前で操作している人がいるPC(プレーイヤキャラクタ)を殺すというルールです。自分の操作しているプレイヤが殺されると「悲しい」という痛みを感じる人はどちらかと言うと「バーチャルの世界に立脚点をおいている人」という考え方もあるわけです。
興味深い事にこの「観察者の立脚点」が現実とは一段階上の所にあるのではないかという妄想を持つ人がいます。「離人症」と呼ばれる精神疾患です。逆に自分の内部にもうひとつの世界を作ってしまう精神疾患は「自閉症」と呼ばれます。どちらもコミュニケーション失調疾患という分類になるのですが、なかなか興味深い事実だと思います。


3つ目のキーワードは、「パラメタ」の数と言うことです。
世の中は、カオス(混沌)としていくベクトルがあります。情報理論的には「エントロピーが常に増大方向に向かうわけですが、その初期数値に与える変数が現実世界だと非常に膨大になるものと予想されますが、仮想現実の世界ではその世界に影響を与えることができる変数群の絶対量が少ないと言う傾向があります。
一昔前のテレビゲームの世界ではパラメタを与える役割を持った人間(入力者)は1人ですが、時代がたつにつれて、人数も増大し、MMOに代表される現代のゲームはパラメタを与える入力者の絶対数が増大するにつれてカオス的傾向が生まれるのだと思います。
しかしながらひとつのゲームサーバにアクセスする人間の絶対値が現実社会に比べて極端に少ないため「現実」と呼ばれる社会と齟齬を生む事になっているのではなかろうかと予想します。人数が増えれば仮想現実社会にある物品の相場に対してももっとカオス的な動きが出るのではなかろうかと考えます。